大きく手を広げてゴールする坂本さん

 4月18日に開催された「ボストンマラソン2022」で、パサデナ在住の坂本佳栄子さん(61)が、女子年齢別(60〜64歳)450人中16位に入る快挙を成し遂げた。「9年前の爆弾テロ事件の影響もあるのか、ボストンの街全体にランナーを歓迎する雰囲気があふれ、気迫に満ちた大声援に背中を押された」と坂本さん。3時間35分14秒の自己ベストの好タイムを記録した。

男子ランナーに混じり、力走する坂本さん。腕にはアップルウォッチは無くタイムを確認できなかったが、ペースを守り好記録につなげた

 毎年4月に開催されるボストンマラソンは、1897年にスタートし、近代オリンピックに次いで歴史の古いスポーツ大会の一つ。公認マラソン大会で規定水準以上のタイムを記録した者だけが参加できる、「選ばれし者のマラソン」でもある。昨年11月と今年3月のLAマラソンで、女子年齢別でそれぞれ2位と3位に入り、参加資格を得た。
 「ボストンマラソンの参加者は、速くて強い」と参加した印象を語る坂本さんは、身長155センチ、体重38キロ。大会前の練習では、膝やかかとを痛める可能性が高まる42・195キロの長丁場に備え、ゆっくりと長い距離を走ることを意識した。ネットで調べた自己流のトレーニングリストを基に、週に5、6日は10キロ強を、週1回は1時間半から2時間ほど走った。また、ボストンマラソンの終盤にある難所「心臓破りの上り坂」に挑むため、急な坂道をあえてトレーニングに組み込んだことも効果があったと振り返る。

鍛え上げた健脚で年齢別16位に入った坂本さん

 初の遠征マラソンとなった今回、出発前の準備は万端だったはずが、まずはランニングでいつも使うアップルウォッチをパサデナの自宅に置き忘れ、マラソン当日は携帯電話の充電器をホテルに忘れてしまうトラブルも発生。このままでは走っている途中に携帯の電源が切れてしまうから使えない。坂本さんは、あっさり電源を切り気持ちを切り替え、「体一つ」でスタートを切った。
 いつもなら、走行中にナイキのランニングアプリがくれる速度やタイムについてのアドバイスもなく、ゴール前で選手の多さを見た時は、「4時間以内のフィニッシュは無理だと思った」と話す。ところが、ゴール直後にタイムを知らされ、うれし涙があふれ出た。ゴール前の選手の多さは、4時間を切る選手が多いボストンマラソンのレベルの高さを示していたのだ。「心臓の鼓動だけを意識し自分を信じて走って正解だった。アプリがあったら、逆に速度を調節してしまい、走りが乱れていたかもしれない」と振り返る。

完走の喜びを達成感に満ちた表情で両手を挙げて表現

 坂本さんがマラソンを始めたのは、ほんの10年ほど前。それまで特に運動はしていなかったが、体重が減るなどしたために体力作りを目的にジムへ通い始めた。走ることには興味がなく、関節への負担が少ないクロストレーナーに徹していたが、ある日、そのマシンが空いていなかったために、トレッドミルで走ってみたのがきっかけだった。当初は1キロすら走れなかったが、その後少しずつ走行距離を伸ばし、2015年には、近所のデスカンソガーデン主催の5Kランに初挑戦。息子が約束通り、スタートの30分後に応援に駆け付けると、坂本さんはすでにフィニッシュした後で、いきなり25分の好タイムを出して自信を付けた。

 16年にはモアパーク開催のハーフマラソンに初めて参加し、タイムは1時間56分26秒だった。20年に初挑戦したLAフルマラソンでは、4時間10分の好タイムを記録し、その後も21年の3時間43分13秒、今年の3時間46分46秒と、健脚を維持。昨年9月のパサデナ・ハーフマラソンでは、1時間43分6秒で年齢別1位でフィニッシュしている。

駅伝の記録保持者だった広島庄原実業高校時代の坂本さんの父・和弘さん。高2だった1947年撮影

 広島県出身の坂本さんは、中学高校と放送クラブで、運動部ではなかったものの、兄とともに小学校のリレー大会で活躍する「瞬足の坂本兄妹」として有名だった。「高校の時は駅伝の選手だったんじゃ」。ハーフマラソンに出た時、坂本さんは、原爆孤児になり戦後つらい経験をした被爆者の父親のこの言葉をふと思い出したと言う。駅伝の記録保持者だった父は15年前に他界したが、自分の中に父のDNAがあることを初めて自覚した瞬間だった。
 坂本さんは、ボストンマラソン完走後、16歳の息子が初めて、「『ママすごい、かっこいい』と言ってくれたことが本当にうれしかった」と話す。息子はお腹にいる時に心臓に疾患が見つかり、リスクを乗り越え、生まれてきてくれた。生後4カ月で最初の手術をしてから、3回の手術を重ね、心臓に負担がかかる長距離走には挑めない息子の分まで、自分が走りたいとの強い思いが心底にある。今後も、チャレンジする母の姿を息子に見せていければ、と願っている。コロナパンデミック前に開催された中学対抗の短距離走で、息子が学校代表になり、2位でゴールした時、亡くなった父の血が息子にも引き継がれていると実感し、胸が熱くなった。
 シングルマザーである坂本さんは、マラソンを始めた10年前を思う時、別居など私生活の問題に悩んでいたつらい思い出もよみがえってきてしまうとも話す。「でも、その経験がなかったら、今のマラソンでのチャレンジはできていない。つらい始まりだったけど、良い結果につながった。息子も元主人も私の一番の応援者。私にとってマラソンは、無になれる、瞑想のようなものでもあります」

伝統のボストンマラソンを完走した証しのメダルを笑顔で披露した

 ボストンマラソンで40キロ地点に差しかかろうとした時、左足首と膝が痛み出し、かなりの葛藤があった。しんどくて歩きたくなった時、それを許さぬと言わんばかりの沿道の大声援を浴びた。マラソンの魅力は、「オリンピック選手でもアマチュアでも、同じ苦しさと達成感を経験できること」と言う。「今回のボストンマラソンには約3万人が参加したが、誰も楽に走った選手はいない。マラソンは個人競技だけど、みんな同志との思いが強まり、また大会に出たくなる」
 坂本さんは現在、1マイルを8分で走る。「50歳から始めて、今も走れることに感謝している。60代の自分がどんな風に走れるのか、これからもチャレンジを続けて行きたい」と、意欲的だ。(平野真紀)

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