家族と共に授賞式に出席する受賞者。左から5人目が粟屋さん、右隣が西元さん

 南加日系社会の発展に寄与する女性を顕彰する2022年度「ウイメン・オブ・ザ・イヤー」賞の授賞式がこのほど、モンテベロのクワイエット・キャノンで開かれた。粟屋陽子さんと西元美代子さんが受賞した。2人は栄えある賞を励みにより一層の社会貢献を誓った。
 同賞は1963年に始まり、南加日系婦人会と日系市民協会(JACL)ロサンゼルス・ダウンタウン支部が毎年選出し、共同で受賞式を催している。
 粟屋さんは箏楽の普及に尽力し、米国での55年間の活動を通して2千回を超える公演を行ってきた。後進を育てるとともに、日米の交流に寄与したことが評価された。西元さんは、日系社会のさまざまな団体に属して奉仕活動に励むその社会貢献に対する献身が認められ受賞となった。
 授賞式では約160人が見守り、2人の経歴や逸話などが紹介されるたびに、拍手と歓声が沸き起こった。
 粟屋さんが受賞者を代表し、日英両語で謝辞を述べた。名誉ある賞の受賞について「支えてくれた大勢の人々のおかげ」と感謝し、「自分1人の賞でない」と強調した。

「美しい音色」に魅せられ
粟屋さん、65年の箏人生

 初めて聴いた「美しい音色」に少女の心は奪われた。13歳だった粟屋さんは、それまで見たことがなかった爪をはめて座って弾く箏のユニークさにも胸を躍らせ、先生を探した。「本当に箏が好きなので、毎日毎日弾いた」。そのキャリアは日本で10年、米国で55年を数える。「演奏を休むことはほとんどなかった。65年間で休んだのは出産後の3カ月ほどだけ」と胸を張る。上達のコツは「箏を好きになり、コツコツと練習すること。一歩一歩を大切にして、積み重ねること」と、自身が歩んできた道のりを紹介するように語る。

受賞者を代表し謝辞を述べる粟屋さん

 演奏活動で各所を回り、年50回以上も舞台に立ったことがある。公演の総数は2千回を超える。2、3年おきに大きなコンサートを開いており、2千人収容の会場で過去に10回催したことを誇りとする。
 「箏の音色はすばらしい。日本の伝統文化、伝統音楽を広めたい。1人でも多くの人に箏の良さを知ってもらいたい」と意欲を示し、演奏会では古典の箏楽の他にピアノ曲やクラシック曲、米国人になじみのある人気映画のテーマ曲などの洋楽も取り入れる。「古い伝統も大切だが、新しいものを取り入れて開拓することも大切。世界が変わるにつれ音楽も変わっていくので、チャレンジした」と、時代に合わせて選曲してきたことを強調する。
 南カリフォルニアに暮らす喜びを「海外で最も日本文化が栄えているから」と、独特の表現で話す。「日本人がいて日系社会、日本語学校があり、日本文化を伝える人、また、受け継ぐ人がいる。鑑賞する人は誰もが日本文化に敬意を払っている。いい環境がそろっている」と笑顔で話す。「日本文化は外に出さないと意味がない」と力を込め、日米の懸け橋役を担ってきた自信を示す。
 これまでの箏人生は「人生の旅であり、自分との闘いでもある」と振り返る。「日本にいた時から常に優しい、良い先生方に恵まれ、ポジティブな気持ちを持つことができた」と感謝に堪えない様子で語る。渡米後は工藤かずゑ師に師事し、芸を磨いた。独立して「粟屋陽子箏曲学院」を設立した後は、師匠から継いだ「優しい先生」を実践し、弟子の育成に努めてきた。「教えるのも楽しみ」と話す粟谷さんの「自分との闘い」は、これからも終わることはない。

「粟屋さんは一生の友」
同門のジューン・クラモトさん

 粟屋さんと同じ工藤かずゑ師の門弟で「ヒロシマ・ザ・バンド」のメンバーのジューン・クラモトさんは、箏の盟友である粟屋さんについて「粟屋さんは私にとって特別な存在。最も素晴らしい人物であり、最も素晴らしい箏の演奏家である。私たち2人は同時に名取になったこともあり、忘れることのない一生の友人」と語る。クラモトさんは粟屋さんの性格が好きと言い、「明るくて、いい人で、皆から慕われるのもうなずける。クリエーティブな音楽活動を送っている。誰よりも箏を愛しているので、これだけ長く続けることができていると思う」。
 演奏者としての魅力にとどまらず、クラモトさんは粟谷さんが情熱を燃やす弟子の育成と日本との交流を高く評価する。「私は日本語が下手なので、日本とのやり取りを粟屋さんに手伝ってもらった。日本と米国をつなぐ役目を務めてくれ恩に着ている」と感謝する。「音楽活動を通じて、日系コミュニティーに大いに貢献している。コミュニティーは粟屋さんがいて、とてもラッキー。ヒロシマも粟屋さんの情熱をもらって、育てられた。皆が粟屋先生に感謝している」

社会奉仕と家庭を両立
西元さん「マイペースで」

 西元さんは「これだったら自分でもできる。できる限りやってみよう」と、自身の持つ力量と時間に合わせて、社会奉仕と家庭を両立させている。長く続けることができた理由を「自分にできる範囲でマイペースでやっているので、今日まで続けることができている」と説明する。

大きな拍手を送られ会場に入る受賞者の西元さん

 渡米当時は英語が理解できず困ったという。米系の会社に入社し、意思の疎通で苦労し「毎日がプレッシャーだった」という経験から、困っている人の気持ちが身に染みて分かり「そういう困っている人の気持ちを少しでも和らげることができれば」と、使命感を燃やす。
 奉仕の講習を3カ月間みっちりと受け、師と仰ぐリトル東京サービスセンターの坂本靖子さんから「ボランティアは、人(特定の個人)のためにするのではない」ことを学んだ。「ボランティアは誰かに喜ばれるためにするのではなく、助けが必要な人や社会のための力になることだ」と胸に刻んだ。
 奉仕を通じて得た仲間との出会いは財産だ。102歳の三宅明己さんや伊藤富雄さん、ジャック・内藤さんなどの後ろ姿を見て、大きな影響を受けて成長した。奉仕仲間がどんどん増えていき「いろんな人と付き合って教えてもらう。ボランティアは日々が勉強。今も学んでいて『そうか、こうだったんだ』と気付くこともある」と語る。
 次世代の若いボランティアへのアドバイスとして「自分ができることから始めて、『これは私ができる。これはできない』と、割り切って考えてほしい」と話し、「くれぐれも輪を乱さないように」との一言も。
 「自分ができることは、とことんやってみる」という西元さん。一仕事を終えて、みんなと「頑張ったね」「やってよかったね」と喜びを共有するが、「達成感は無い」と言う。その理由は「それがすんでも終わりではないから。まだ、まだ、と、次のことをやろうと考えてしまい、頭で考える前に行動してしまうから」と笑う。「我慢強く、ばか正直。だから今日まで続けることができたと思う」。西元さんの奉仕活動は、まだまだ続く。

西元さんは「ボランティアのかがみ」
藤田喜美子OCJAA会長

 西元さんが奉仕するオレンジ郡日系協会(OCJAA)会長の藤田喜美子さんは、西元さんの活動について「OCJAAで長年、奉仕しているわれわれの大先輩。各種の年中行事を陰で支えて、特に経験が豊富なゴルフ大会で実力を発揮している。手が回らない忙しい時でも手際よく働き、助けられている。ボランティアのかがみ」とたたえた。日系の諸団体での奉仕について「『あんなにたくさんのことがよくできるなあ』といつも感心している。きちっとした性格で、責任感を持って確実な仕事をする。だから会長も務まると思う」と述べた。

ウイメン・オブ・ザ・イヤーの授賞式で写真に納まる(左から)南加日系婦人会のジョイス・チン会長、粟屋さん、西元さんと、JACL・LAダウンタウン支部のキタ支部

 昨秋、OCJAAが主催した敬老感謝の集いの80歳長寿者表彰では西元さんも舞台に上がって祝福を受けた。「若々しくとてもそのような年には見えない。家族を愛し、家庭を守りながら日系社会のために尽くしており、頭が下がる。これからも健康に気をつけて、頑張ってほしい」とエールを送った。

 JACLロサンゼルス・ダウンタウン支部のジョージ・キタ支部長は、2人の長年の活動をねぎらい「それぞれの分野で活動し、日系社会に貢献している。また、経験を生かして後進を指導しており、賞に値する活躍をしている」と称賛した。南加日系婦人会のジョイス・チン会長は、「コロナ禍で心配したが、多くの人が参加して2人を祝福してくれた。ありがたい」と話した。

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