
第57回マンザナー巡礼が4月26日、カリフォルニア州中部のマンザナー国立史跡で開かれ、日系人強制収容の歴史を現在の社会と人権の問題として問い直した。テーマは「Lessons from Manzanar Vigilance is the Price of Democracy(マンザナーの教訓 民主主義を守るには不断の警戒が必要)」。全米各地から元収容者の家族、学生、研究者、市民団体関係者らが集まり、過去を「現在進行形の問題」として捉えるメッセージが繰り返し語られた。 (長井智子、写真も)

巡礼は1969年に始まり、今年で57回目。第2次世界大戦中、約12万人の日系人が強制収容された歴史を記憶し、同じ過ちを繰り返さないことを目的に続けられてきた。太鼓演奏やバナー行進に続き、先住民代表、日系コミュニティー関係者、国立公園局関係者らが登壇。冒頭では、マンザナーがあるオーウェンズバレーがかつては先住民のショショーニ族の土地だったことにも触れ、「豊かな歴史を共有するこの土地に感謝したい」と述べられた。
開会式では、巡礼や教育活動に尽力した故キャシー・ジェファーソン・バンクロフト氏、日系人オーラルヒストリー研究を切り開いた歴史家アート・ハンソン氏への追悼も行われた。ハンソン氏は、「日系人は黙って収容に従った」という従来の歴史観を覆し、収容所内の抵抗や公民権への信念を記録してきた研究者として紹介された。
また、進行を担当したトニー・オオスミさんは、自身が5歳だった1972年に初めて巡礼へ参加した経験を振り返り、「家族によっては、ここへ来ること自体が通過儀礼だった」と語った。35年後には1歳だった娘を連れて再び参加し、「今は娘とその役割を分かち合えることがうれしい」と話した。世代を超えて受け継がれる「記憶の場」としての巡礼の姿が浮かび上がった。
会場には、全米日系人博物館、米イスラム関係評議会(CAIR=Council on American-Islamic Relations)のフサム・アルーシュ氏、在ロサンゼルス日本総領事館の室田幸靖総領事ら巡礼を支える支援団体や来賓の他、各地の日系コミュニティーセンターや学生団体もグループで現地入りした。カリフォルニア大学ロサンゼルス校、同サンディエゴ校、同バークレー校、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校、スタンフォード大など、多くの大学の日系学生団体が紹介され、若い世代の存在感が際立った。
「歴史を消させない」
基調講演でミナミ氏

今年の基調講演は、公民権弁護士として知られるデール・ミナミ氏が務めた。ミナミ氏は、戦時中の日系人強制収容をキャンプではなく「監獄(Prisons)」と呼び、「国家安全保障」という名目は後に米政府自身も認めた「虚偽」だった、と強調した。
「私たちはこの歴史を何度でも語り続けねばならない。歴史のホワイトボードから、大きな政治的消しゴムで消し去らせてはならない」
ミナミ氏はそう訴え、42年の日系人強制収容について、「人種差別と経済的利害に根差した公民権の大惨事だった」と批判した。さらに、当時は行政府、議会、司法の三権が機能せず、最高裁までもが政府側に立ったと指摘。「歴史は今、再び繰り返されつつある」と警鐘を鳴らした。
講演では、現在の移民政策やICE(移民税関捜査局)の活動にも言及。「令状なしの拘束、大量拘禁、適正手続きの欠如は、戦時中の日系人への扱いと重なる部分がある」と述べた。また、「政府機関が市民を守るためではなく、抑圧の道具として使われる危険性」を指摘し、42年に国勢調査局が日系人居住地特定に協力した事例を挙げた。
一方で、88年の戦時補償(リドレス)運動を「希望の歴史」と位置付けた。ロン・デルムス元下院議員ら黒人政治家を含む多民族の連帯が、補償法成立を支えたことを振り返り、「42年には孤立していた日系社会が、88年にはアライシップ(連帯)によって正義を勝ち取った」と語った。
「日系社会が受け継いだ遺産は他者のために立ち上がる道徳的責任だ」と強調したミナミ氏。最後は「Never Again(再び繰り返させない)」との言葉で締めくくり、投票、抗議、寄付、連帯行動を通じて民主主義を守る必要性を訴えた。
「聖なる場所」への巡礼
強制収容の歴史教訓に
今年の巡礼では、多様な立場からの証言も大きな柱となった。
CAIRカリフォルニア代表のフサム・アルーシュ氏は、マンザナーを「聖なる場所」と表現。「ここは単なる悲しい過去ではない。現在につながる警告だ」と語った。
「不正義は有刺鉄線から始まるのではない。疑念、偏見、恐怖を利用する政治、沈黙する善良な人々から始まる」
同氏は、イスラム系市民団体が20年以上にわたり巡礼へ参加してきた理由について、「一つのコミュニティーが標的になれば、誰も安全ではないという感覚を共有しているからだ」と説明。日系人強制収容の歴史を、現代の移民排斥やイスラム嫌悪、人種差別と結び付け、「記憶を民主主義防衛につなげるべきだ」と訴えた。
また、ポール・ヒロシ・ボイエ氏は、真珠湾攻撃後に崩壊したターミナル島の日系漁業コミュニティーについて証言した。かつて約3千人の日系人が暮らした漁村は、船の接収、1世漁民の拘束、海軍による立ち退き命令によって消滅したという。
ボイエ氏は、家族が短期間で全てを失った歴史を語りながら、「権利は守らなければ簡単に奪われる」と訴えた。現在は、ターミナル島に残る最後の歴史的建造物保存運動にも取り組んでいる。
若い世代による「継承」
強い印象を残す
それぞれの理由や思いを胸に参加した人々の言葉を全て紹介することはできないが、若い世代や家族による「継承」の姿は強い印象を残した。
7年生のアレカ・ゴールドバーグさん(12)は、小学5年生の時に「マンザナー巡礼」をテーマにした歴史研究プロジェクトに取り組み、州大会で銀メダルを受賞した。研究を通じて元収容者らにインタビューを行い、その後、家族で毎年巡礼に参加するようになった。現在も元収容者との交流を続けているという。
「巡礼が人々を変え、癒やしをもたらし、同じ過ちを繰り返さないための転機になったことを学んだ」と話したエリカさん。持参した花を慰霊塔に手向けた。
一方、日本から参加した安齋和之さんは、戦時中にマンザナーで暮らした大叔父夫婦の記憶をたどって巡礼へ参加した。収容所内で日本庭園づくりに携わった大叔父の話を米在住の親戚から聞いていたという。

「実は昨日まで、本当に自分が来ていいのか悩んでいた」というが、大叔父の親族から「楽しんできてね」と背中を押され、心のとばりが晴れたという。巡礼については、「もっと静かな追悼の場を想像していたが、若い人も多く、笑いもある明るい場だった」と語り、「重い話だけではなく、いろいろな形で継承が工夫されている」と話した。
また、昨年夏にロサンゼルスに着任して初めて巡礼に参加した室田総領事は「コミュニティーを愛し、守るためには歴史を知らなければならない」と言葉にした。特に若い学生が「コミュニティーを愛して守る」と語っていたことに感銘を受けたとし、「若い日系人の取り組みを日本政府としても応援したい」と述べた。
91歳のリン・ヤスダさんは6歳から9歳までマンザナーで暮らした日々のことを鮮明に覚えているという。子どもたちが受けた教育について、ロサンゼルスから来た白人の女性教師が熱心に教えてくれたと言い、解放後にニュージャージー州のシーブルック・ファームズに父が職を得た際に、現地小学校の担任が収容所で学んだヤスダさんの学力レベルが高いことに驚いたほどだったという。戦時下の状況の中でも、子どもたちの教育を守ろうとマンザナーに移住した白人の女性がいたことは、収容所の歴史が単なる「悲劇」だけでは語り尽くせないことを示している。
一方で、42年12月6日に収容所内で起きた17歳のジェームズ・H・イトウさんとジム・カナガワさんの射殺に関する軍と政府による責任回避の疑惑は解決しておらず、親族は情報提供の訴えを今も続けている。
未来へ語り継ぐ
12万通りの物語
巡礼の終盤には、慰霊塔前で超宗派の追悼式と献花が行われた。神道、キリスト教、イスラム教など宗教を超えた祈りがささげられ、最後は仏教の読経が行われた。参加者は列をなして焼香し、静かに花を手向けた。
42年、約12万人の日系人が強制収容されたが、巡礼の場で参加者らと言葉を交わす中で見えてくることは、その体験は決して一つではないということだ。家族が別々の収容所に送られた人、故郷を失った漁民、差別で職を奪われた専門職、幼い頃の「遊び場」として記憶している子どもたち。「12万人いれば、12万通りの物語」がそこに存在した。
そして今年の巡礼で繰り返し語られたのは、その物語を「終わった歴史」にしてはならないということだった。
生存者が減り、直接体験を語れる人が少なくなる中で、記憶を語り続ける責任は、今を生きる人々へと受け継がれている。学生たち、研究者、活動家、家族、そして初めて訪れた若者たちが、その「灯」を次世代へ渡そうとしていた。
今年の巡礼は、「沈黙すれば、民主主義は崩れる」と警鐘を鳴らした。「Never Again」というその言葉を空虚なスローガンにしないために、人々は今年も砂漠の地に集まり、記憶を紡いでいた。
マンザナーは、単なる過去の史跡ではない。市民社会が崩れる時、社会で何が起きるのかを問い続ける場所であり、同時に、人々が連帯し、語り継ぎ、立ち上がる力を示す場所でもある。

