日本に着きテレビを見ていると、画面片隅に「AIにより放送しています」との表示。機械がニュース原稿を読んでいるということだろうか。確かに、原稿読み間違いの心配はなさそうだ。
 ところが同じ頃、1本のメールがシアトルから飛び込んできて、これには驚かされた。私が日本語で書いた記事を、英語に直して転載しようと翻訳機にかけたというのだ。出来上がった翻訳文に理解しづらいところがあるので教えてほしいと、日本語を読めない編集者からの依頼。しかも締め切りまで、それほどの日数はない。
 読んでビックリ。翻訳機にも能力差があるのだと思うが、送られてきた翻訳文は、意味不明瞭の箇所どころか、幾つかの言葉が不思議な英語に変換されていた。例えば、法事は、legal matterとなり、輪番(りんばん、浄土真宗別院の主任開教使)は、rotatorに。この翻訳機は「法」「輪」の漢字の意味を知ってはいるが、それが法事や輪番という使われ方をすると、お手上げだったようだ。
 慌てて訂正を入れたが、一事が万事この調子。しっくりこない訳語の連続で、目を通すのも疲れてしまった。といっても文章の大半は滑らかな英文になっているので、訂正を入れない限りこのまま活字になり、周囲に迷惑をかけ、私も大恥をかくことは明らか。できる限りの訂正を入れたが、自分の文章に翻訳機を使われることに恐怖を感じてしまった。
 人には、コップに半分入った水を、半分入っていると喜ぶ楽観的人間と、半分しかないと言う悲観的人間がいる。が、編集者から「すごい。機械に翻訳させて、著者がチェックして、もうここまで出来た」と喜ぶメールが届いたときには、手元に辞書もないまま苦労して直す途中だっただけに、なんと楽観的かとあきれてしまった。コップの水は半分でも役に立つが、翻訳は正確でなければ混乱を招く。まして活字はいつまでも残る、と。
 とはいえ、AIによる技術の進化は目を見張るものがある。翻訳を機械だけに頼るのは時期尚早で、両言語を知る人による監修のない限り信頼できないことを今回実感したが、翻訳の大半を機械で済ませられるとは確かに便利になったものだ。(楠瀬明子)

Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です