紅葉が過ぎた頃の福島の吹き荒ぶ風に、寒さをより強く感じました。猪苗代湖のほとりには、千円札の肖像にもなった野口英世の生家があり、傍らには「忍耐」と書いた石碑がありました。「Honesty is best policy」と自筆の英語で書かれており、その下には、「忍耐は苦しい、だがその実は甘い」とのフランス語も刻んでありました。福島から米国に渡って、ノーベル賞候補ともなる大きな研究成果を出した英世にとって、忍耐強くあり、正直であるという信念は、彼の生きる指針になっていたようです。
そして生家の柱には、「志を得ざれば、再びこの地を踏まず」という言葉が刻んでありました。その柱の言葉を読んだ母親の野口シカは、どう感じたのだろうかと想像しました。英世の固い決意だけでこれを刻んだのではなく、育ててくれた母親への深い感謝の念が、この言葉の裏に隠れているような気がしました。
米国から戻ってこない英世に送った、シカからの手紙がありました。「はやくきてくたされ、はやくきてくたされ、いしよ(一生)のたのみて(頼みで)ありまする。にし(西)さ、むい(向い)てわ、おかみ(拝み)、ひかし(東)さ、む(向)いてわおかみ(拝み)、しております。いつくるトおせて(教えて)くたされ。これのへんちまちて(返事を待って)をりまする。ね(寝)ても、ねむれません」とあります。通常の手紙の常識を無視して書かれているのですが、読んだ人々の心を強く動かすのはなぜでしょうか。それは、切実な母の思いを文章のテクニックではなく、ストレートに伝えようとしているからだと思います。一字一字の祈るような力が、手紙を読む人に自分の母親を思い出させるからではないかと思います。
母シカの口癖は、「ありがたい」だったそうです。ご存じのように英世は幼い頃に左手を大火傷し、指が開かなくなってしまっていましたが、英世の境遇を嘆くことなく、むしろ息子の出世を「ありがたい」と喜び、15年ぶりに日本に帰国して、各地に同行させてもらう息子の姿に感謝をしたそうです。偉人の親には、脚光は当たらないものですが、母の深い愛情があったからこそ、偉人が育つに違いありません。いつの間にか一年が終わろうとする頃ですが、母へ連絡しようと思いました。(朝倉巨瑞)
