年末、数日続けて鬼籍に入られている方々が夢に現れた。カラー映像なので血色がよく、着慣れた洋服や着物、話をされるときのしぐさなど記憶の中そのままで、久しぶりに会えて話ができて、なつかしかった。目覚めて、亡くなっていることが嘘のような錯覚さえ起こした。うれしかったが、今の時期に何人にも会えるなんて、どういうことだろうと不思議だった。年末になると、その年亡くなられた方々を紹介しながら振り返る番組があるが、まさにそれのようだった。
 正月をラスベガスでゆっくりしようとやってきた。小東京でお正月イベントを行うと聞いたのが、この予定を立てた後だったので、にぎわいが分からない。
 ロサンゼルスからラスベガスへの道中の荒涼とした光景は、何度通ってもしっくりこない。月面か火星かと思うような、人が住む場所に見えない場所を通過する。夢を見ている時のなつかしさや人との交わりから得られる情緒のようなものは感じられない。広さだけはたまげる。初日の出を拝めるかと思いきや、天気はどうにもならなかった。
 カジノがないホテルに宿泊して、外食だけではなく持参したものを食べ、あまり日常を変えないよう、年齢を意識して疲れが出ないようにした。ただ場所が変わっただけ、ちょっと怠けただけでリフレッシュできるというのはある。新年になってから故人は夢に現れなくなった。会いに来いということなのか、そういう年齢になったということか。しかしながら、師と敬ってきた故人に出会えて、思いをかけていただいたことには感謝しかない。自分が受けたことを若い人に返していくことでしか、恩返しができないと改めて思った。きっと、そのことを忘れないようにという戒めの夢だったのだろう。
 フーバーダムから水の流れを追ってデービスダム、コロラド川を回ってみた。以前見た光景と違って明らかに水量が減っていた。LAリバーだけ見ていると分からない水不足の現実を目の当たりにした。
 長いコロナ禍からやっと出口が見えてきたかという新年。コロナ以前と同じ状態には戻れないだろうが、それぞれ違ったコロナ後を創っていく新年になるのではないか。(大石克子)

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