8月3日の羅府新報で、LELA「平和への架け橋」展のニュース。LELA(Lantern of the East)は、私にとっても忘れられない思い出だ。
2002年の秋、坂田英夫氏から展覧会の開催を手伝ってくれと依頼された。さまざまなイベントを手掛けたが、展覧会は初めて。絵は彼が責任を持って集めるというから、「会場の手配ぐらいなら」と引き受けた。
構想はこうだ。世界の文明はメソポタミア・ギリシャから始まり、ヨーロッパ、中国・インドと西回りに伝わっている。絵画界もその経路をたどり、やがてアジアの時代が巡ってくるだろう。「だから自分たちはアジア系のアーティストを糾合し、まずこのロサンゼルスからアートの光をともすのだ」と壮大な夢を語る。だからLAから発するランタンの光「LELA」と名付けたのだそうだ。31カ国から200人ほどの作品を一堂に集める、大規模な展覧会が動き出した。
だが、準備が始まると想定外が次々と。グループの中核15人ほどが半月前にやって来るが、飛行機代、宿泊、食事などは主催者側が用意するのがこの世界の常識だという。「えっ!聞いてないよ」と言っても間に合わない。白いTシャツを大量に購入しアーティストたちに絵を書いてもらって売る。知人のお茶の先生は「では私が60人ほどのお茶会を用意するから、そのチケット(80ドル)を売ってください」と徹夜で懐石料理も用意し、友人たちが購入。ある日系ホテルは部屋を何室も無料で提供してくれた。こうしてどうにか、3会場を使っての大展覧会にこぎ着けた。企業からの寄付はほとんどない。有志の人たちが親身に応援してくれた。この運動は日本政策投資銀行の現地リポートに「芸術イベントに見るNPO活動」として報告された。
展覧会誌の表紙のために、座った坂田氏が頭からペンキをかぶった写真を撮るという。2人が屋根の上から声を合わせて赤と青のペンキを落とす。西洋と東洋の融合の象徴だそうだ。作家と全作品を載せたカタログは、アーティストにとっては後々まで自分のキャリアを語る良い宣伝になったことだろう。
画家・坂田さんは情熱のままに動く人だった。訃報に接しその情熱と人柄が懐かしい。(若尾龍彦)
