チャイニーズシアター前で手形・足形をかたどるYOSHIKIさん

 ハリウッドのチャイニーズシアター前の広場でこのほど、ロサンゼルス在住で世界を股にかけて活躍する音楽家のYOSHIKIさんの「手形・足形」をかたどる式典が行われた。 (長井智子)

親友の韓国人俳優イ・ビョンホンさん(右)とポーズをとるYOSHIKIさん

 1927年建築のチャイニーズシアターはロサンゼルスの観光名所として知られ、芸能人の手形・足形が刻まれたセメントタイルが劇場前の広場に敷き詰められていることは特に有名。マリリン・モンローをはじめ歴代の映画スターや音楽スター330人以上が名を連ねるが、YOSHIKIさんはこのたび音楽を通じたエンターテインメント業界への貢献が評価され、日本人として初めて、その名を飾ることになった。
 式典には韓国人俳優のイ・ビョンホンさんや、ロックバンドKISSのジーン・シモンズさんが登壇し、2人は友人としてYOSHIKIさんを祝福した。ビョンホンさんは、YOSHIKIさんのロックバンド「X JAPAN」が、まだ世界にSNSがない時代にアジア各地を席巻した偉業をたたえ、「YOSHIKIさんの音楽はこれからも称賛され続けるだろう」と祝辞を述べた.。

祝辞を述べるKISSのジーン・シモンズさん

 YOSHIKIさんは英語でスピーチし、「人種や、何者であるかに関係なくアメリカンドリームを勝ち取ることができると証明したかった」と語った後、「本当にありがとう」と日本語でファンに向かって感謝の言葉を述べた。その後、セメントにサインをし、手や足を入れて形を作り、愛用のドラムスティックを埋め込んだ。
 ハリウッド大通りの車道をはさんだ向かい側の歩道には、駆けつけたファンがイベントを見守っていた。バーバンク在住の鈴木由佳里さんは「早起きして来た。世界に羽ばたけることは素晴らしいこと」と話し、「距離がありすぎてイベントはほとんど見えなかったけれど、式典の様子は家に帰ってからストリーミングでゆっくり見ることにする」とほほえんだ。
 式典後のレセプションではジャパンハウスの海部優子館長や在ロサンゼルス日本総領事館の曽根健孝総領事らから祝辞を浴び、祝賀客の求めに応じてピアノ演奏を披露する一幕も。あいさつに立つと、英語が全く喋れない状態で始まった米国での挑戦を感慨深げに振り返った。夕刻にはチャイニーズシアターでYOSHIKIさんが制作した音楽ドキュメンタリー映画「YOSHIKI:UNDER THE SKY」のロサンゼルス・プレミア上映が行われた。ロサンゼルスでは今後、20日にドルビー劇場でクラシック楽団との共演、11月29日にはYouTubeシアターでロックバンド「ザ・ラストロックスターズ」の公演と、目まぐるしいスケジュールが待っている。

手形への思いを語る
在米30年「夢はいつかかなう」

 メディアのインタビューに答えて、YOSHIKIさんが手形への思いやこれからの活動について語った。
 —手をセメントに入れた時の気持ちは?
 その瞬間は感極まった。感触というよりも、「ゴールでないにしても、これまでやってきたことが認められた」という気持ちが押し寄せてきた。まだ信じられない、なぜ僕がこの栄誉に値するのか、という戸惑いもあったが、「純粋にこの瞬間を喜ぼう」と思った。
 式典でしゃべっている時にファンが見えた。ファンや友人、これまでアドバイスをしてくれた人たちの姿が浮かび、涙をこらえるのが必死だった。メチャクチャなことをやって進んできた道を、ちゃんとした道にしてもらえたのはファンのおかげだ。
 夢というのはかなう。諦めずに連続してやってきたら、いつかかなう。亡くなった父、母、バンド仲間に手形・足形を空から見てもらえる。そんな思いが交錯した。
 30年前に米国に来て、必死に英語を勉強した。ロサンゼルスに住んでいるので、ハリウッドを通ることはよくあるが、まさか自分がこの立場になるとは思っていなかった。

ジャパンハウス館長の海部優子さん(右)、在ロサンゼルス日本総領事の曽根健孝夫妻もXポーズで、日本人初・YOSHIKIさんの栄誉を祝福

 —自作の音楽ドキュメンタリー映画について
 コロナ禍の中、手探りで道のないところに飛び込んで成功した。ハリウッドの製作者と作ったハリウッド映画だった。インディーズのバンド時代も手探りで始めたように、映画も同じ。自分の美学を押し通してきた。規模や関わる人数は多いが、音楽も映画も、プロデュースする道は同様だ。この映画で新しいドアを開けることができたらと思う。
 撮影を始めた時には何が起こるか分からなかった。シナリオのないドキュメンタリーで、セットやシネマトグラフィーのチームを、本当に起こるかどうかも分からないことに投入した。
 撮影したシーンではファンと「エンドレス・レイン」を一緒に歌うところが一番印象深い。
 —クラシックコンサートは?
 前代未聞のクラシックコンサートをやろうと思っている。ドラムを演奏する。これまで見たことのない、激しくショッキングなクラシックコンサートを期待してほしい。日本、ニューヨーク、ロンドン、ロサンゼルスを回る。コンサートマスターは一緒に旅するが、オーケストラはそれぞれの場所の楽団と共演する。母が亡くなった時に「レクイエム」という曲を作曲した。追悼の思いを込めて公演する。日々、世界中を飛び回っているが、世界中のホテルでピアノを練習して、この公演のための準備を行なっている。

「亡くなった両親やバンド仲間に手形・足形を空から見てもらえる。そんな思いが交錯した」と語るYOSHIKIさん

「自分の道を切り開いた」
人気絶頂で米国移住を決意

 人気絶頂で米国移住を決意したYOSHIKIさん。当地では最初全く英語も話せず、必死に勉強したという。「ロサンゼルスでもうすぐ30年になる。日本は住みやすいし、いい国だし、何度帰ろうかと思ったが、こちらに拠点を移してがんばってきた自分を褒めてあげたいという気持ちもある」と話す。「今まであったことが明日もあるとは限らない。道は切り開くものだと念じ、自分の道を切り開いてきた」と振り返る。
 日本、韓国、サンフランシスコ、ニューヨーク、ロンドン。文字通り世界中を飛び回って活動する。「移動は大変ではないとは言えないが、手形のチャンスを与えてもらったことに恥じない、もっと多くをお返しできるショーをするつもり」と、来たる公演に向かって意気込む。セメントの跡がついたセリーヌ製の黒いブーツには、「いつもなら、汚れを気にするのにね」と、茶目っ気たっぷりに笑った。

愛用のスティックを埋め込んだセメント。この後、乾燥・仕上げを経て広場に設置される
レセプションで演奏するYOSHIKIさん

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