私の住む川崎市は来年に市政100周年を迎える。また東海道五十三次で最後に新設された川崎宿は宿場開設400周年を迎える。川崎市は湾岸に巨大な石油コンビナートを築き、戦後の日本復興になくてはならない産業基盤を築いてきた。中東やアメリカから原油を仕入れ、京浜工業地帯(東京・川崎・横浜)でさまざまな石油製品を作り、戦後の日本の経済復興を支えたのである。石油は産業の要、詳細は百田尚樹著「海賊と呼ばれた男」に詳しい。
 11月17日、私たち宮前区の有志22人は川崎公認案内人の資格を持つH氏の案内で、新市庁舎や近年工場夜景としてアマチュア写真愛好家に人気のある京浜工業地帯の夜景を見学する会を催した。
 川崎宿や川崎市は、江戸時代から続く史跡の街、また日本の産業を支えるユニークでな街である。道路には「旧東海道」の石碑が立ち、戦後沖縄から移住してきた労務者をはじめとする工場労働者が築いた「銀柳街」という商店街もある。労務者の街は物価や食べ物が安い。川崎市の住民でありながら、この見学会に参加して初めて知ることが多かった。企画・案内・解説をしてくれたH氏、新市庁舎を案内してくれたT議員に感謝する。
 終戦の翌年、昭和21年2月、絶望に沈んでいた国民を慰め復興へと励ました昭和天皇の8年半の「全国巡幸」は、この川崎から始まったという。そんな由緒のある川崎市を、川崎市民として誇りを持って再認識した。
 関ヶ原の戦いで天下統一を果たし江戸に拠点を定めた徳川家康は、東海道、中山道、日光街道など、主要道路を全国に張り巡らせ、通信と物の流通を盛んにして経済を安定させた。宿場町には参勤交代の大名や要人の宿泊施設として本陣や脇本陣、替え馬の用意、大きな川の両岸には川人足などが配された。こうして家康の念願である戦いのない世を生み出し安定した徳川幕府時代を築いた。その意味では家康は、偉大な政略家だった。東海道には多くの宿場がある。川崎宿には三つの本陣があり、本陣の主人は時代時代で宿場周辺の発展に貢献してきた。
 今回の見学会を機に、探求したい課題が幾つも出てきた。(若尾龍彦)

Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です