二世週祭のパイニア賞を受賞し、グエン・ムラナカさん(左)とグランドパレードに参加したマリオ・レイエスさん=2022年8月

 いつかはその日がやってくると分かってはいたが、マリオとの会話に私の気持ちは揺れた。長年、羅府新報のカメラマンとして活躍してきた彼から、ついに引退すると告げられた時、私は感慨深い思いでいっぱいになった。(グエン・ムラナカ総合編集長)
 事の起こりは数週間前。何度も一緒に昼食を食べた小東京のミツルグリルで、私たちは会話を交わした。
 「潮時だから」と、彼は簡潔に述べた。

マリオ・レイエスさんが2011年5月に撮影したアイコ・ハーシグさん(中央)。AAPI月間でロサンゼルス市議会から表彰された。後方は左からハーシグさんの義理のウォーレン・フルタニ加州下院議員、エリック・ガーセッティー議長とアントニオ・ビヤライゴーサ市長(役職は当時)

 3月29日に掲載したコミュニティーに向けたメッセージで、マリオはカメラマンとしてのチャンスを与えてくれた当時の羅府新報編集長クリス・コマイに感謝を述べた。
 クリスはフェイスブックで「マリオを雇ったことが編集長として最良の選択だった」とコメントした。マリオはフェイスブックを使っていないため、彼にこれを読む機会を与えたいと思う。
 クリスは以下のように述べている。
 「彼は最初の写真スタッフとしてやりたいことのビジョンを持っていた。暗室の設置、写真アーカイブの整理、そして記者たちに自分の写真を撮る方法を教えること。マリオが最初に働いた出版・制作グループのスタッフたちは皆彼について非常に高く評価した。個人的なことながら、彼は私と妻クリスの結婚祝いとして、結婚式とレセプションの様子を彼のビデオで撮影してくれたのだが、収録した動画は一切編集されていない。マリオは何を画面に捉えるかについて非常に強い感覚を持っていたため、編集は必要なかったのだ。ありがとう、マリオ、全てのことに」
 マリオの特別な才能は写真撮影以上に広がった。彼の共感力と献身の心が彼を優れた写真家にし、また、それが、なぜこの背の高いメキシコ系米国人が小東京とJAコミュニティーにとって欠けてはならない人物として受け入れられたかの理由でもある。
 ある時、ドジャー球場での試合を取材しに向かう途中、私たちは市庁舎前を車で通りかかった。歩道で2人の女性が争っており、互いにつかみ合っていた。私は全く気付かなかったが、マリオは車を止め、窓を開けて女性たちにやめるよう叫んだ。彼はもう少しで車から降りるところだったが、彼の介入で2人の女性は驚き、争いは止まった。

100歳で二世週祭のグランドパレードで踊る踊りの振り付けを担当した藤間勘須磨師(左)と写真に納まるマリオ・レイエスさん=2019年8月

 それがマリオだ。彼は関わることを恐れず、平和を築くこと、そして彼自身と私たちと一緒に働いた多くの人々を守ることができる。私は、大手メディアの人たちが私たちを押しのけようとするのを許さなかった彼の姿勢を常に感謝している。
 「あなたはNBC放送の人? だから何? 私たちは羅府新報です」というのがマリオの態度であり、それが私たち全員にも伝わった。
 東ロサンゼルスで貧しい生活を送って育ったことで、マリオは常に弱者に寄り添う精神を大切にしてきたと思う。特にマーサ・ナカガワとの取材活動で、彼の作品にそれがよく表れている。マリオとマーサの仕事は歴史的な価値がある。いつか彼らのジャーナリスティックな功績を展示する本や展示会が見られることを願っている。
 そして、スティーブ・ナガノの優れたショートフィルム「More Than 1000 Words」には、フランク・エミ、ヨッシュ・クロミヤ、ミツ・コシヤマなどの人々に言及するマリオの感情が見て取れる。また、ジャックとアイコ・ハーシグ、ローズ・オチ、セドリック・シモなどともすぐに友情を結んだ。彼らの人生は全てマリオの写真に捉えられている。
 忘れてならないのは、二世週祭もマリオが遺した大きな功績の一つであるということ。彼が日系コミュニティーに尽力した先駆者として認められ「パイオニア賞」を受賞した昨年、パレードカーで隣に座ることができたのはとても光栄だった。写真家のアラン・ミヤタケと私は、今年のパレードにもマリオが参加できたらいいねと話し合った。
 私たちは誰もが、限られた時間しか持っていない。マリオの素晴らしいところは彼が羅府新報に自分の足跡を残し、さらに次の章に備えていることだ。マリオ、JAコミュニティーの真の良さを知っているだろうか。私たちはいつでもここにいる。あなたにはこれからも私たちに関わる機会がたくさんある。
 マリオとの会話を終えて、彼がポジティブな心境にあることを知って安心した。彼はまだここにいる。彼は私たち羅府新報のスタッフのことを励ましてくれた。私も含め永田潤、J・Kヤマモト、マイケル・カルロス、長井智子の写真について称賛してくれた。恥ずかしい話だが私は写真で苦労している。マリオまでとはいかないが、私も精いっぱい頑張っている。 
 マリオは、創造性と情熱を持って仕事をすることで、このコミュニティーに自分の居場所やかけがないのない人々を見つけられること、真の変化をもたらすことができると示してくれた。
 ありがとう、マリオ。
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開幕シリーズのセレモニーに参加した大谷。ブルーカーペットに登場し、ファンの大声援に手を振って応えた

 羅府新報では現在、潤とマイケルが必死に大谷翔平のドジャース1年目を追っている。マリオは2人の取材振りに誇りを感じているに違いない。2人は精力的に試合や記者会見に出向き、ロバート・バーガスの素晴らしい壁画の除幕式を撮影し、日々の締め切りに間に合わせている。
 大谷翔平は今、小東京の1街に大きな存在感を示している。都ホテルの壁に描かれたあの大きなスイングは4月3日のジャイアンツ戦、快音を響かせた今季第1号ホームランで現実となった。
 小東京における大谷の影響は総額70億ドルの契約と同じくらい大きく深いと言われている。壁画の前で自撮りをしたがる訪問者がたくさんいることを想像してみてほしい。試合前後にはラーメンを食べにも来るだろう。バーガスはその壁画を「LAライジング」と名付けたが、今年130年目を祝っているこの歴史的な地域に与える影響から「Jタウンライジング」と呼ぶこともできるだろう。

小東京に誕生したロバート・バーガスさんが描いた大谷選手の壁画「LAライジング」

 私も日系米国人として、小東京における日本人と日系人コミュニティーの交差点がどのように展開しているかを、そして都ホテルの所有者である近鉄などの大手企業の影響が、今も多くの中小企業と住民からなるコミュニティーに及んでいるのを見るのは興味深い。1980年代に日本企業が小東京に進出した折に裏で起きた争いについては、当時を知るユキオ・カワラタニさんのような方々がコメントできるかもしれない。
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 大谷と解雇された元通訳・水原一平との関係において、私には「ひょっとすると大谷も関与していたのでは」といった世間の疑惑を一蹴する傾向があるが、これは決して私が日系米国人だからという身びいきが理由だけではない。つじつまの合わない点も多く、MLBや当局は完全な調査を実施してその結果に従うべきだと思う。
 とはいえ野球で自身の記録の達成に全力を注ぐ大谷が、サッカーやNFLの試合の勝敗に賭けることに興味を持つ可能性は非常に低いように思う。この事件が世に出るまで2人は切り離せない関係にあったわけで、大谷が水原に野球以外の生活の一部へのアクセスを許可したというのは理にかなっている。

ドジャースから解雇された大谷選手(右)の通訳を務めた水原一平氏

 大谷を2020年から22年まで指導した長年のエンゼルス監督ジョー・マドンは最近、水原は大谷の唯一の橋渡し役であったと述べた。ここで最も顕著なのは「裏切られた信頼」だろう。
 「イッペイがショーヘイに不忠実だったとは、全く想像できないことであり、考えたこともなかった…。そして怒りを感じた。この事件の全てに心から怒りが湧いた」と、あるインタビューで答えていた。
 しかし、なぜ大谷の口座から450万ドルもの資金が消えてしまったのか、彼や彼の担当者が知らなかったというのは、まだ理解できない部分だ。そして、それは今や調査の一部となっている。
 スポーツ業界と、Draft KingsやFan Duelなどを通じたオンラインスポーツ賭博には、このような汚職を避けられない深い闇があるようだ。ただ水門が開いた今、このような賭博スキャンダルの渦に巻き込まれるのは水谷や大谷が最後ではないことだけは確かである。

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