7月の頭にツールレーク巡礼に参加した。北カリフォルニア、オレゴンとの州境に位置するツールレーク収容所跡は、第2次世界大戦中に日系人が収容された10カ所の強制収容所の一つである。そこを訪ねる巡礼は通例隔年で開催されていたが、今年はコロナ禍を挟んで6年ぶりに行われた。
ツールレークは、1943年のいわゆる「忠誠登録」と呼ばれる米国政府による調査で、一方的に「不忠誠」のレッテルを貼られた人々を集めた隔離センターが設けられた収容所だった。他の収容所からツールレークの隔離センターに移送された「ノー・ノー・ボーイ」らトラブルメーカーと見なされた収容者に対する扱いは極めて過酷で、収容所内には軍刑務所も設けられていた。
今年のツールレーク巡礼のテーマは「Reframing the Narrative(歴史を書き直す)」だった。戦後、収容に対する長い沈黙を経て、日系コミュニティーがようやく収容を語れるようになった後も、元ツールレーク収容者に対する偏見は長く続いた。今もまだ、それが根強く存在するのに驚かされる時がある。
戦前、日系移民は来たら来たっきりではなく、旅行や学問、里帰りで日米間を移動していたし、日本からの来客もあった。送金、雑誌購読など、経済的・文化的にも日本との往来があった。たとえ祖国は米国一国であったとしても、さまざまなトランスナショナルなつながりがあった。しかし戦争は折衷であることを許さず、極端な二項対立に彼らを引きずり込んだ。
忠誠登録は、基本的人権も自由も、時には家族も奪われた状態で、米国か日本かその二つのどちらかを選ばせた。選ばない、もしくは両方を選ぶという人間らしい選択はなく、回答しない、またできない者もまた、不忠誠と見なされた。
収容所跡の軍刑務所の壁には収容者が書いた文字が保存されている。「SHOW ME THE WAY TO GO HOME(家への帰り道はどこだろう)」。人には忠誠心だけでなく、失われた故郷への悲しみもあれば、怒りも衝動も、愛も憎しみも喜びもある。その複雑で、時に合理的でない感情もまた、人が生きていることの証だ。国家の戦争はまるでそういったものは二の次のように扱い、人間性を奪う。しかし戦争の中でも、人は人であることをやめない。ツールレークに生きていたのは、そうした人であり続けた人たちだ。(三木昌子)
