日系コミュニティーについて話している時に、1世に始まる日系人社会と、戦後に日本から移住してきた日本人社会の間に、目に見えない壁のようなものがあるのではないか、という話が出たことがある。
 シカゴでは、日系人は定住者会や市民協会、県人会やお寺、あるいはキリスト教会など宗教団体の集いに社交の場を求め、一方、戦後日本から留学したり、企業の駐在員として渡米したが帰国せず起業したりした人々などは、自分たちの便宜のために日本人会を立上げた。
 日系人の集まりは全て英語で進行し、もちろん日本人グループはあいさつも配布物も日本語である。
 こう考えてみると両者の間に壁を作っているのは言葉のような気がする。
 別に仲が悪いわけではないし、まったく意思の疎通がないわけではない。出会えばあいさつもするし、食事を共にする機会もある。
 そればかりか米社会向けのジャパン・フェストなどでは企画から実行まで一緒にやっている。ここ3、4年は夏のピクニックを合同で開催し、その距離を縮める努力をしている。
 亡くなった2世の義姉と配偶者の帰米2世の義兄の夫婦喧嘩を思い出す。
「お前は日本語も片言だし、日本の習慣も分かっていない。こんなことは日本ではやらないぞ」で始まり、「私は黙って聞いてるけど、あんただって2世のくせにおかしな英語を話すじゃないの」
 夫婦であればそれで済んでしまうが、日系人と日本人の付き合いでは言葉や習慣の違いから誤解を生まないように、あるいはどうせ分かってくれないだろうけれど、と気を遣いながらの付き合いで、お互い疲れるのかもしれない。
 3世のA氏が、「日系の歴史や収容所の暮らしなどよく話す機会があるけれど、私たちは日本人が戦中戦後に日本でどのような生活をしたのかまるで知らない。一度ぜひ聴いてみたい」と言い出して、1月と4月に最初は対面で、2度目はズームで、お互いの体験を話す集まりが持たれた。それぞれ60人ほどが参加し、体験談を話し合ったが、好評だった。結果がどうかより、垣根を外す努力がなされていることが大切なのである。3回目の集いを楽しみにしている。(川口加代子)

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