不法移民政策への抗議は政権の強硬な政策と、それに伴うICE(移民税関執行局)の摘発が背景にある。移民コミュニティーの不安が高まる一方、抗議の一部が暴徒化し、州兵が動員され、世界中のニュースとなった。「ロスは大丈夫?」と日本からも心配の声が届いた。
だが、先日取材を兼ねて参加したオレンジ郡の抗議集会は芝生の公園で行われ、家族連れや若者も多く、平和的で連帯感に満ちていた。私はプラカードに何を書くか悩んだ末、「ロスに平和を。それは変だよトランプさん」と日本語で書いた。連れ立った友人(彼女は日本語ができる白人)は「それでも『さん』付けなんだ」と笑ったが、語呂がいいっていうのもあるし、私の感覚では呼び捨てにするのは少々ためらわれた。ただ集会にアジア人の姿は少なく、日本人は私1人だったかもしれない。だとしたら、残念だ。
戦後日本では憲法に平和主義が明記され、「非暴力・不干渉・我慢の美徳」が国民意識に育まれてきた。だが「不法移民は法を犯しているのだから摘発も仕方ない」―そんな論調をSNSで見ると、共感力のなさに失望する。ロサンゼルスに住む日本人として、移民コミュニティーに共感しないのはなぜか。声を上げることをためらうのはなぜか。自身の立ち位置が日本人と日系人のどちら側にあるかで異なるのだろか。私はコロナ禍やBLM運動を経て、差別や排除の連鎖は今も潜み、いつでも再燃する危うさを感じるようになったのだが。
ハーバード大学のエリカ・チェノウェス教授によれば、人口の3・5%以上が非暴力で抗議すれば体制変革の可能性が高まるという。2020年のBLMはその実例だとか。昨今のそれも重要な市民運動に見えるが、暴徒化の映像ばかりが流されれば、運動の広がりは妨げられ、権力側に弾圧の口実を与えてしまうだろう。
もちろん集会に参加することだけが抗議の方法ではないが、心の目を閉じずにいることは大事だと思う。まずは身近な100人の中に2・5人(プラス自分で3・5%)の仲間を見つけ、自分ならどんなプラカードを掲げたいかを考えたりする――その想像力こそが、最初の一歩になるはずだ。(長井智子)

