日本の温泉やフィットネスクラブのジャグジーで、ときおり耳に飛び込んでくる異国語の大きな声。その多くは中国人による会話である。日本人にとって、大声は「場の静けさを乱す行為」であり、ときに「心理的な侵略」とすら感じられる。
 しかし、米文化人類学者エドワード・ホール博士は指摘する。「ここには単純なマナーの善悪では説明できない、深い文化の違いが横たわっている」と。
 日本では、古くは平安朝の宮廷文化において、振る舞いの静謐(せいひつ)さや声の控えめさが貴族の美徳とされた。江戸時代になると、武家の礼法や寺子屋教育を通じて、この「静かさを尊ぶ」価値観が庶民にも浸透した。温泉、銭湯、寺社、旅籠―共同空間では「互いの気配を乱さない」ことが暗黙のマナーとなり、とりわけ声を抑えることが重要だった。
 そのため日本では、公共空間での大声は相手の「領域」に踏み込む行為=心理的侵略として捉えられやすい。「音が相手の心のテリトリーに入り込む」感覚は、日本文化特有の繊細さといえる。
 一方、中国では声量にまつわる価値観が大きく異なる。中国の伝統社会は、騒がしい市場、大家族の共同生活、茶館や飯店のにぎやかな空気が日常だった。声を張ることは「元気」「誠実」「親しみ」の象徴とされる場面も多い。広大な土地と大人数の環境では、大きな声は生きるためのコミュニケーションの基本だった。
 さらに、中国語は声調言語であるため、抑揚を明確に出すことが誤解を避ける鍵となる。言語そのものが、ある程度の声の強さを必要とする側面すらある。
 ここには優劣はなく、歴史と環境が異なるゆえの「文化の方向性の違い」があるだけだ。
 日本人が温泉やジムで感じるストレスの多くは、この文化差に由来する。日本の温泉は「静かに過ごす場所」だが、中国では「友人と語らう社交の場」に近い。
 しかし中国人側も決して悪意があるわけではない。むしろ「静かすぎる日本の空間」に驚く旅行者も多く、「声を潜めることがこれほど求められる国は初めてだ」と戸惑うこともある。
 重要なのは、「文化的文脈の違いを理解した上でルールを伝える」ことだ。
 静寂を守る日本人。にぎわいを楽しむ中国人。そのどちらも、長い歴史の中で育まれた文化の宝である。公共空間で感じる違和感は、決して相手への否定ではなく、文化の多様性に触れた証しである。必要なのは、耳栓だけかもしれない。(髙濱 賛)

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