羅府コラムニスト川口真理さんのエッセー

   先日、よく行くグロッサリーストアで懐かしい知人とばったり会いました。通りすがりにお互いに「あなたのこと、知ってる気がするんだけど」から始まって、同時に「CLスクールよ!」「私はマリ、あなたはエレノア?」。12年ぶりの再会です。1秒が作ってくれた偶然を喜び合いました。

 私は以前、子どもたちが通っていたクリスチャン系の私立の学校で、ボランティアからパートタイムになり、合わせて17年ほど仕事をしていたのです。彼女はその学校のプリスクールの先生でした。

 小さな規模の学校で、校長を含め、教師、職員同士はファーストネームで呼び合うようなアットホームな職場でした。私はここで、随分と社会勉強をさせてもらったものです。特に私と同年代の人たちの、暮らし方や、ものの考え方の違いを知ることは、時に戸惑いながらも面白く、今の私にも大きく影響していると思っています。

 エレノアと再会した後、私はその頃に書きとめていたノートを読み返してみました。

 まずは、ドタキャン事案から。

 新学期の準備が整ったところで、お辞めになる先生がいらっしゃいました。ここは私立なので、公立とは雇用条件が違って、もっと気楽に辞職、就職ができたようなのですが、そこで驚くべきは、それが受け持つクラスが決まった後のドタキャンであっても、その人について批判めいた話は一切しないんです。その代わり、事実をはっきり言います。「ミッシェル(ドタキャンの人)ね、いい仕事がみつかったんだって、ここよりお給料がいいって言ってたわ」「じゃあ、当然ね。彼女のためにはいい決心だわ」「私もそう思う」「よかったじゃない」。

 私はそんな風には割り切れないので、「でも、無責任ってならないのかな。クラスも決まった後なのに」。すると、「でもね、マリ、こっちにいい話があるのに、なんで不本意な気持ちで仕事を続けなくっちゃいけないの? 誰の人生なの?」。

 まだモヤモヤが消えない私は「彼女の人生だけど、それで学校に迷惑かけるってことでしょ」「あのねマリ、そこからは校長の仕事よ。何のために校長は高い給料もらってると思うの? こういう大変なことを解決していくためでしょ」。

 ウワッ、言ってくれちゃいますねえ。でも、言われてみれば、整理されている。感情や直感に流されやすい私が、筋道を立てて考えることを学んだ一幕でありました。

 そして、次は古く、イラク戦争の頃の話です。小学2年の担任バーバラの息子アダムが、イラクへ兵士として派遣されることになりました。職場のみんなで、息子を送り出すバーバラのために寄せ書きのカードを贈ることになりました。バーバラは、息子アダムがネイビーの訓練校を卒業した時、それはそれは晴れやかに、海軍の仕事に就けば社会的にもいろんな保証があるし、これで母親としての荷をおろせるわ。と言っていたのです。世界情勢が、いやアメリカ情勢がこういう時なので、海軍の任務としてイラクへの出征は、息子も母親も覚悟はしていたことでしょう。バーバラは私とそれほど年齢も違いませんでした。

 アメリカ国旗をデザインしたカードが私に回ってきたとき、なんと書いてよいか悩んでしまいました。平和ボケの私が書いていいのだろうか。カードに文字を書きながら、私は初めて生の戦争に関わった気がしました。周りのみんなはメッセージを普通にサラサラ書いていました。つまりこういうことは生活の一部であるということか。同年代でありながら、片や息子を戦場に送る母であり。

 アメリカで暮らすというのは、こういうことなのか。自分がまだまだ未熟であることを感じずにはいられなかった、これも一幕でした。

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