この日にコラムを書くことは、偶然とはいえ何か意味があるのだと思う。
 転職活動をする中で過去に書いてきたものを読みあさっていたら、「10年後の自分に宛てた手紙」が出てきた。当時大学生の私はハワイの日系2世や新宿のニューカマーたちへのインタビュー調査に奔走していて、未来の自分にこう提案している。「ジャーナリストとして『多民族国家、日本における共生』をテーマに街の変化、人々の変化、日本の変化を捉えていったらどう?」と。
 当時予測していた社会は今や現実のものとなっている。経済連携協定(EPA)、実習制度、入管法改正による特定技能ビザの新設、目前に迫った東京五輪で、日本で暮らしたり訪問したりする外国人はますます増え、より多様な社会になっている。
 そんな中で心配なのは、劣悪な環境で働かされて失踪者や自殺者が出ているだけでなく、彼らが災害大国日本で「災害弱者」になりやすいという現実だ。
 25年前の今日、1月17日に発生した阪神淡路大震災。外国人たちに多言語での災害情報が提供されるようになったのはこの大地震がきっかけだった。
 大きな被害を受けた神戸市長田区には当時在日韓国人、ベトナム難民、南米移民など多様な民族の人たちが暮らしていた。被災したカトリック教会の敷地内に「FMわいわい」というNPOのコミュニティーメディアが立ち上がり、日本語の分からない彼らを守るために母国語で情報を流して各民族コミュニティーに貢献した経緯がある。
 FMわいわいの活動は今や日本にとどまらない。国内外で臨時災害放送局の立ち上げをサポートしたり、作成した多言語コンテンツを日本各地の自治体に提供したり、大学などと連携して調査・研究を行い、行政への政策提言や各コミュニティーへのフィードバックも行なっている。9年前の東日本大震災の際には宮城県気仙沼市のフィリビン人女性によるラジオ放送もサポートした。
 今は公共放送のNHKも北海道地震から災害情報の多言語化により力を入れるようになってきた。常に自然災害と隣り合わせの日本。日本人と外国人が同じ情報を持つことが大切だ。各メディアがそれぞれの役割を担いつつ、互いの連携もこれから重要になってくるかもしれない。【中西奈緒】

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