和食弁当とおしゃべりを楽しむニューヨークのシニアたち=2021年10月7日

 2020年に始まったコロナ禍で社会生活における物理的距離が広がった一方で、オンライン情報共有メソッドの著しい利用加速や、地球規模のパンデミックでどこの地域も置き去りにできないという一体感から、遠くの人々との心的距離が縮まった一面がある。邦人の居住者数で世界一のロサンゼルス都市圏に次いで、ニューヨークは全米で第2の邦人数を誇る都市である。ニューヨーク日系人会(JAA)の活動は、ニューヨークに住む日本人や永住邦人、日系米国人の同胞に対するコミュニティーサービスの中心である。ロサンゼルスから東に3千マイル離れた都市の日系コミュニティーにおける共感を探った。 【長井智子】

 2021年10月7日、ニューヨーク日系人会(JAA)では敬老会が開催されていた。セミナーや集会を催せるホールを持つ約5千平方フィートのJAA会館はマンハッタン中心部45丁目のビル内にある。交通の便が良い都市だけに、電車やバスの公共交通機関を使ってやって来たシニアたち。「こんにちは」「久しぶり」と顔見知りと声を掛け合いながら、日本食のお弁当と、エンターテインメントで出演した沖縄三線と津軽三味線の女性デュオ「ゆずりの花」の演奏を楽しんだ。

ホイッスルの付いた緊急IDカードを配りながら来場者と談笑する伊藤リキさん(中央)と大西鏡子さん(右)

 食事の合間、進行役を務めた伊藤リキさんと大西鏡子さんから一人一人に、まさかの窮地に陥った時に助けを求めるのに便利な呼び子笛付きの緊急IDカードが配られた。
 「英語がしゃべれません。助けてください」「身の危険を感じています。同行をお願いします」などと日英両語で書かれた文言を指し示せば、言葉が発せなくても意思が通じる。伊藤さんの説明を聞きながら、「なるほど」と早速首に掛けてみたり、「そういえば困ったことと言えばね」と、隣人と新しい話題の花が咲いたりしている。
 ニュージャージー在住の岡部加都恵さんやマンハッタンに住まう角谷妙子さんらも「日本語でみんなと話すのは楽しい」「みんなうれしくて、着飾って来る」などと、口々に毎回の敬老会を楽しみにしていることを話す。
 JAAでは65歳以上を対象にしたこのような敬老会を毎月1〜2回開催している。通常なら毎回100人が集まるという人気のプログラムだ。
 コロナ禍ではニューヨークも早々とロックダウンとなり、人々の生活が制限された。特に、ニューヨークは感染者数死者数でも、アジア人ヘイトのホットスポットとしても、全米で最も危うい都市であったと言えるかもしれない。JAAもパンデミックが始まって会館が閉鎖されたが、インターネットのないシニアに電話での安否確認をしたり、20年5月からは60人以上のボランティアが170人以上のシニアや障害者にお弁当を届ける週1回の「プロジェクト弁当」を展開したりしたという。

高齢化を迎える日本人・日系人社会
国、文化、言語など境界を超えたライフスタイル

40代〜シニアの意識調査

 「モデル・マイノリティーと称されているアメリカ多文化社会の日本人・日系人も、異文化で迎える老いという『モデルなき喪失の過程』に不安を隠せない」

津軽三味線と沖縄三線の女性デュオ「ゆずりの花」の演奏を楽しむ敬老会の参加者

 これは、2019年3月にニューヨーク日系人会の邦人・日系人高齢者問題協議会がまとめた「在ニューヨークの日本人・日系人の高齢化に関する意識調査」の冒頭の記述である。日本人・日系人で構成される日系コミュニティーは1980年以降に急激に高齢化が進んでいる。
 桃山学院大教授で人類学博士の遠山(金山)伊津子さんを調査責任者とし、日本福祉大准教授で政策・メディア博士の中島民恵子さん、ニューヨーク市立ブルックリン・カレッジ助教授で健康教育学博士の小泉きよ香さん、ニューヨーク日系人会(JAA)のスーザン・大沼さんと野田美知代さんらのチームが18年秋に、ニューヨーク、ニュージャージー、コネチカット、ペンシルバニアに住む40歳以上の日本人・日系人を対象に調査を行なった。同会は06年にも同様の調査を実施しており、これらの先行研究を基にした意識調査(有効回答610)の結果をまとめている。
 「『国』『文化・言語』『家族』『社会福祉・医療システム』などの境界を超えたライフスタイルを持つ者の高齢期における尊厳は、高齢者の文化的アイデンティティーと、居住する国の医療社会福祉システムとのせめぎ合いの中にある」
 この言葉は全世界に散らばり永住を決意あるいは模索する邦人の誰もに当てはめることができそうだ。

問題が明らかに
ニューヨークの邦人

 「個人の老いを考察する際には個人史を無視することができないように、コミュニティーにもそれぞれの歴史がある。現在のニューヨーク近郊の日系コミュニティーは、その長い歴史から生まれてきている」と考察は続く。
 ニューヨークの40歳以上の日本人・日系人。垣間見えた特徴は—
 ①散住。日本人町のような一つの地域に集住するというよりは、比較的広い地域に散住する居住パターンが観察される。②長い居住歴。在米20年以上が85%。③経済的安定。84%以上が短大・専門学校以上の高等教育を受けており、多くが米国または日本からの年金を受給している。収入6万ドル以上が半数を超える。④高い英語コミュニケーション能力。英語が(ほとんど)できないと認識している者は約12%にとどまる。英語運用能力があるという自己認識がある。⑤高い医療保険加入率。50%がメディケアに加入。80%が必要な時に必要な医療が受けられていると認識している。一方で、医療保険に加入していない人が4%いる。
 一見問題がないように見えるニューヨーク近郊の日系コミュニティーだが、幾つかの内包された問題が考えられると調査は考察する。それは—
 ①不健康と不幸感②日常生活に対する漠然とした不安③ニーズが高いにもかかわらず不足する日本的ケア(日本食や日本語)④介護サービスに対する自己負担の能力または想定額が低い。介護者に自費で払える金額は500ドル以下と回答した人が約39%いる。⑤コミュニティーの流動性。約20%の回答者が老後を日本で過ごすために永住帰国(リターン・マイグレーション)をすでに決めており、この流動性はコミュニティーの脆弱性をもたらしている。

米国の邦人動向
 外務省発表の令和3年(2021年)版海外在留邦人数調査統計によると20年10月1日付で海外に住む邦人総数(長期滞在者と永住者)は135万7724人。国別では米国が最も多く、海外在留邦人の31・4%に当たる42万6354人が暮らす。
 世界の都市別順位では、1位がロサンゼルス都市圏6万7501人、2位がバンコク(タイ)5万8763人で、3位がニューヨーク都市圏3万9850人である。
 米国の都市では次が10位ホノルル2万3735人、12位サンフランシスコ都市圏1万9765人、15位サンノゼ都市圏1万5498人、19位シカゴ1万1973人、26位サンディエゴ8613人となっている。

115年への歩み
ニューヨーク日系人会
 ニューヨーク日系人会は1907年(明治40年)に医師・高見豊彦博士が設立した日本人共済会を基盤として、14年に紐育(ニューヨーク)日本人会となり、ニューヨークの邦人の統一団体として活動した。
 41年に日米開戦で一度は解体凍結されたが、戦後の46年には日本救援紐育委員会を発足してララ (LARA-Licensed Agency for Relief in Asia)を通じて敗戦の混乱にある日本人を支援。日本の復興と共に、「祖国救援」から「当地在住日系人・日本人の福祉向上と相互扶助」へとその目的を移し、戦後に「東海岸地区に移住してきた戦時強制収用されていた日系人」および「ビジネス、学術研究などの目的で渡米した日本人」へとサービスは移った。50年11月に名称を「ニューヨーク日系人会」と改名した。
 ニューヨーク地区の日系人・日本人社会を代表するボランティア活動・地域貢献を中心とした総合団体となり今日に至る。
 活動内容は法律・健康・保険の無料相談、敬老会ランチや病床の方々へのランチデリバリーを始め、幼児を対象としたアップルキッズの会、各種文化教室、新渡米者への情報提供等の多岐にわたる。さらにニューヨーク地域での日本人移住者歴史資料の整理保存、大学院、大学進学者への奨学金、音楽賞、地域活性化と日米親善の桜祭りなども行う。
 2005年には日本国総領事館および各種団体との協力でJAA日系人・邦人高齢者問題協議会を発足し、増加傾向にある日本人・日系人高齢者のニーズに対応している。

多岐の活動が日英両語で調和
気掛かりはシニア問題

 「日系人会という名前ですが、戦前の日本人会を基盤にしているので日本人と日系米国人の両者のための組織です。実際、日本語の活動と、日系人の英語の活動は、調和しバランス良く動いていると思います」
 話を聞いた事務局長の野田美千代さんは同会の管理とプログラム運営における「要」の存在だ。
 在留邦人向けの活動は野田さんら日本生まれが、英語の活動には名誉会長のスーザン・大沼さんや副主事のジュリー・東さんら米国生まれの2世3世のキーパーソンがいて、多彩なサービスを実現している。

活動は英語日本語の両面でバランス良く調和していると胸を張るJAAの野田美千代事務局長

 理事の多くが米国生まれの日系米国人で理事会も英語で行われるが、一方で事務局は日本語での運営を貫いている。「窓口が日本語でないと、日本人へのサービスは先に進まないと思う」と野田さんは言う。
 日本語サービスと英語サービスの両面で活動するJAAは、邦人保護の観点から動くニューヨークの総領事館との協力関係も築いている。「その点は、コミュニティーが小さいので、一緒にやらないとできないという面もあるかもしれません」
 シニア問題はニューヨークの日系社会でも大きな課題と話す野田さん。「早い時期からの準備と、(ついのすみかが)米国または日本のどちらだとしても、安心した老後を過ごすにはどうしたらいいか、50歳を過ぎたら少しずつでも考えたほうがいい。こういった考えの啓蒙(けいもう)のために、春と秋にヘルスフェアを開催しています」
 ヘルスフェアの核となっているのが05年に立ち上げたJAA邦人・日系人高齢者問題協議会で、昨年10月にも「秋のヘルスフェア」で健康やウェルネスに関するセミナーをオンラインを含めて複数開講した。「ここでも高齢者問題に関するトピックが多かった」という。
 「これはカリフォルニアと少し事情が異なるかもしれないが」と前置きしながら、「ニューヨークでJAAが行ったアンケート調査では、老後をどうするかを決めていないと答えた人が4割強もいた」と説明する。
 「日本式では高齢になったら何もしなくても行政からのアプローチがあるが、米国ではメディケアにしてもソーシャルセキュリティーにしても、自分でやらないといけない」。この異なる事情を周知させ、米国での手続きの仕方が分からなければ支援を、日本に帰る人にも有益な情報提供をと、会としては「両面を支える姿勢」という。
 例えば米国を選んだ後期高齢者には高齢者施設の「イザベラ」と提携し、日本人のヘルパーが入れるようにしているといった支援がある。同施設は日系専用というわけではないが、現在は25人ほどの日系のシニアが暮らしているという。施設には高齢者専用アパートのイザベラハウスと、隣接した敷地にナーシングホームがある。
 「当会は助け合って114年。これからも相互扶助の精神を核に、今後は将来の次世代を育てていく課題にも取り組みたい」と、野田さんはこれからの展望を述べた。
 野田さんによればニューヨーク地域には、「市民にならず永住権で暮らしている邦人」が相当数いる。それは、個人における将来の決定に柔軟性をもたらす一方で、全体としてコミュニティーの不安定さや政治力の弱さにつながる可能性がある。JAAには多様なニーズに応える能力と、英語グループと日本語グループの調和があり、さらにニューヨークという第一級の都市には深い人的リソースがある。何よりこれらのサービスがJAAの一枚岩の上で行われていることが、邦人の強い心のよりどころとなっていると言えそうだ。

オーラルヒストリーとデジタルヒストリー
ルーツ保存の2大プロジェクト

 東海岸(ニューヨーク州、ニュージャージー州、ペンシルバニア州、コネチカット州など)に移民した日本人・日系人は、日米貿易の担い手であるビジネスマン、留学生、オペアのような家庭労働者が多かった。日本人の歴史を見ると、1891年において約600人、1925年には4千人の日本人がこの地域に居住していたという。
 41年に太平洋戦争が勃発後、米国西海岸に居住する日本人は「敵性外国人」とされ米国生まれの日系人も含めて戦時移転住所での生活を強いられたが、発令の対象外だった東海岸では、日系コミュニティーのリーダーたちがエリス島に収容されたということはあったものの、多くは収容所に入ることはなかった。戦中もキリスト教を中心に据えることでコミュニティーを存続することができたのだという。そのため、ニューヨークのコミュニティーは戦争終結直後に「日本救援準備委員会」を設立することができ、46年に「日本救援紐育委員会」を発足して日本の窮状を救ういわゆるララ物資(Licensed Agency for Relief in Asia)を日本に送ることができた。5年間で16万ドル相当に及ぶ金品(粉ミルクや綿布など)が送られたという。
 やがて日米開戦で凍結されていた「紐育日本人会」の活動が米国政府により解除され、その後「ニューヨーク日系人会(JAA)」に引き継がれ、JAAはニューヨーク地区の日系コミュニティーの核になった。JAAの資料(2006年)からは、このような西海岸と東海岸の日系コミュニティーの運命の違いを読み取ることができる。
 ニューヨークには西海岸の日系人とは異なる戦争体験があり、また、強制収容を経て戦後に西からニューヨークに移り住み一流のキャリアを築き上げた人などもいる。それぞれの地に、さまざまな戦後体験と、多様な人生模様があるということである、

日系人の軌跡
オーラル・ヒストリー・プロジェクト

 ニューヨークの日本人・日系人の軌跡を記録する活動の一つであるオーラル・ヒストリー・プロジェクト(https://jaany.org/w/education/oral-history-project/)はJAAの副主事ジュリー・東さんら有志と、コミュティティー組織とのパートナーシップで、第二次世界大戦後の時代にニューヨークで生活の再建に取り組んだ人々、女性、子ども、家族などの戦中戦後の記憶に焦点を当て、日系米国人の知られざる体験を記録する英語のプロジェクトだ。

オーラル・ヒストリー・プロジェクトの一員で、ニューヨークの日系米国人に詳しいジュリー・東さん

 けん引者の東さんは「ニューヨークにいる日本人や日系米国人は、全米の他の地域の日本人・日系人と全く違う、独特の体験を持っている」と強調する。
 進行中のプロジェクトの切日系人の軌跡
オーラル・ヒストリー・プロジェクト
 ニューヨークの日本人・日系人の軌跡を記録する活動の一つであるオーラル・ヒストリー・プロジェクト(https://jaany.org/w/education/oral-history-project/)はJAAの副主事ジュリー・東さんら有志と、コミュティティー組織とのパートナーシップで、第二次世界大戦後の時代にニューヨークで生活の再建に取り組んだ人々、女性、子ども、家族などの戦中戦後の記憶に焦点を当て、日系米国人の知られざる体験を記録する英語のプロジェクトだ。
 けん引者の1人ジュリー東さんは「ニューヨークにいる日本人や日系米国人は、全米の他の地域の日本人・日系人と全く違う、独特の体験を持っている」と強調する。
 進行中のプロジェクトの切り口として、社会や専門分野にインパクトを与えた人々に焦点を当てている。一例を挙げれば、ニューヨークはダンスの世界において一流である。ダンスはニューヨークが提供し、人々が享受し得る文化の一つである。従って、ダンスを求めて人々が集まってくる。このような移民の目的の違いによって「ニューヨークにいる日系人は、サンノゼにいる日系人やシアトルにいる日系人と違う視点や異なる特長を持つ」と東さんは説明する。
 日系コミュニティーの中でリドレス運動を通じて知り合った仲間や、いつも会っていたJAA会員のシニアが、実は医師だったり女優だったり、プロフェッショナルのキャリアを持ち米国社会の中で大きな活躍をしていた人だったりすることがあるという。「このような人々を見過ごさず、非日系社会に残したインパクトを記録にとどめるのも目的の一つ」だと述べる。だが「この宝箱をまとめるには3〜4年はかかるかもしれない」と東さん。現在はビデオによる記録に尽力中で200時間を超える録画が蓄積されているという。
 その概要を見ることができるウェブサイト上のトレーラー動画では一連の女性たちの言葉が紹介されている。「広島での被曝体験」を話すトミコ・モリモト・ウエスト教授や、「幼児だった自分は日本の祖父母に預けられていたが米国にいた母はユタ州トパーズの日系人収容所に送られた」と話す草月流生け花教授のジュディス・セツコ・ハタさん、「建築家だった父はトパーズのバラック宿舎の建築現場監督に指名されたことで一部の日本人からの不信を買った」と記憶を振り返るテルコ・シモマト・ニューワルダー医師など、それぞれに特別の記憶を口にする。アーティストのミチ・イタミさんは、山崎豊子の小説「二つの祖国」のモデルになった陸軍情報部通訳伊丹明さんの娘。臨床ソーシャルワーカーのフミ・マツキ・ライスさんからは「父は体が弱かったことで戦争には行かなかったが、教師だったので北海道の村に小学校校長として赴任。そこにはアイヌの人々と日本人との対立と、戦後の貧しさがあった」と戦時中の知られざるページが語られる。そしてコロンビア大学社会福祉大学院の名誉学長を務めクリントン政権やオバマ政権にもかかわったジャネット・タカムラさんの、多様性や人権についての考えを聞くことができる。
 芸術、教育、政治、商業、人権などの分野で特に重要な役割を果たしてきた戦後の日本人移民の伝承を含む活動は、新たな日系人像を浮き彫りにするだろう。
 「ニューヨークには温かく、人々を包み込むような素晴らしい日系コミュニティーがある。居場所があると感じられる」と東さんは述べる。
 人生の中でキャリアを追うことに忙しい年代には足を止めることがなくても、人生に一息ついた時に扉を開けることができる場所。それがJAAなのかもしれない。そして、オーラルヒストリーの観点から言えばそれが、それまで語ることのなかった個人の歴史について口を開く最適の時期なのかもしれない。

邦人史を後世に
デジタルミュージアム

 一方、JAAのスーザン・大沼名誉会長を含む日系コミュニティーの著名な代表15人が2020年12月にニューヨーク日本歴史評議会事務局を発足し、21年5月、ニューヨークでの日本人や日系人らの足跡を後世に伝えるため、ウェブサイトで写真や文書などの資料を日本語と英語で紹介する「ニューヨーク日本人歴史博物館」(www.historyofjapaneseinny.org)をオンラインで開設した。このデジタルミュージアム

デジタルミュージアムを開設した歴史評議会の設立1周年記念。前列右から2人目がスーザン・大沼さん(JAAのHP提供)

は、サイト内に約100点の資料を掲載。1860年から現在までのニューヨークおよびその周辺地域における日本人の歴史を収集、保存、出版、発信し、将来の世代に語り継いでいる。
 21年12月には評議会の1周年を記念し、サイトへの訪問者数は1万6千人を突破したこと、22年3月には初の特別展として「岩倉外交使節団」派遣150周年を記念する展示会の開催を準備していることを発表した。事務局はJAAに置かれている。
 オーラルヒストリーとデジタルミュージアム。どちらもニューヨークの多様性に重大な役割を果たした、米国社会に痕跡を残す日系の歴史的遺産を特定し保存する、重要なプロジェクトだ。

ニューヨークに眠る先駆者たち
摩天楼を望む日本人墓地

高見豊彦博士(JAAのHP提供)

 墓地購入に尽力した高見豊彦博士は熊本生まれ。1890年(明治23年)にニューヨークに渡り、コーネル医大を卒業後、ブルックリンにて開業。特に生活に困っている人には奉仕的に治療していたと伝えられている。医大に在学中、ニューヨークで死亡した邦人男子二死体を解剖した際に、同胞が氏名住所不明のまま番号だけで解剖・処理されてしまうことを知り遺憾に思い、コロンビア大学で演説して在留同胞の墓地購入、会員相互の扶助・親睦の必要を説き、1907年に「日本人共済会」を創立した。この「日本人共済会」は現在の「ニューヨーク日系人会(JAA)」に発展した。
 JAAの資料によると、 墓地2448平方フィート(約227平方メートル)を1912年秋に2500ドルで購入し、15年6月に墓碑を建立した。墓地の所有は、第二次世界大戦による複雑な経過をへて現在、マウント・オリベット墓地管理の下にあるが、毎年、メモリアルデーの墓参は途切れることなく続いている。
 ニューヨークに日本から来た先人の墓地があり後世の日本人や日系人による墓参が110年以上にわたり行われている。このことは、ニューヨークに住む日本人でも、知らない人がかなりいるという。
 マンハッタンから地下鉄とバスを乗り継いで40分ほど。マウント・オリベット墓地のゲートを入り、石造りの立派な霊園事務所でもらった地図を頼りに、71エーカーといわれる敷地のなだらかな坂道を上がっていくと、ほぼ丘のてっぺんに、ひときわ大きく立派な墓碑があった。墓碑銘に「日本人墓地」と刻まれ、裏に回ると納骨室があった。JAAの07年の資料によると、ここには名前のある98人と、たくさんの無名の日系人の先駆者が眠っているという。ここからはマンハッタンのビル群が望める。そして、共同墓碑の周囲にも、大小さまざま、日本人の名前が刻まれた墓がたくさん点在していた。高見豊彦氏(1875—1945)とその家族の墓も見つかった。 

【写真上】往年の墓参と【写真下】マスク着用で行われた2021年の墓参の様子(JAAのHP提供)

 日本人らしき墓碑銘を探して一つ一つ見ていくと、手入れの行き届いた墓碑がある一方で、雑草の中に忘れ去られたかのように埋まった小さな塚や、名前も判断できないほど風化した墓碑もある。それらに、そっと手を触れると、「私はここにいたよ」と発する先人の声が聞こえるようであった。
 ニューヨークを最初に日本人が訪れたのは1860年、つまり安政7年(万延元年)に、江戸幕府の公式使節団による初めての訪米の際である。サンフランシスコに上陸後、大陸を渡ってニューヨークを含む東海岸を訪問した。彼らが、ニューヨークを最初に訪れた日本人だった。
 Mount Olivet Cemetery

 6540 Grand Ave,
 Maspeth, NY 11378

寅年生まれの先人の墓

マウント・オリベット墓地で見つけた寅年生まれの先人の墓

 「桂寅彦之墓」と刻まれた墓碑。1890年5月16日生まれで、1940年6月29日に亡くなっている。墓碑銘からはそれだけしか分からない。今の感覚で言えば「50歳の若さで」ここに眠ることになった寅彦さんとは、どんな人だったのだろうか。1890年と言えば寅年で、だから名前に寅の字をもらったのだろうか。生誕132年目の寅年は新型コロナのオミクロン騒ぎと共に明けたことを知ったらどんな顔をするのだろうか。思いをはせて手を合わせた。よく見ると日本の墓石の形がさりげなくデザインに取り入れられている 「桂寅彦之墓」と刻まれた墓碑。1890年5月16日生まれで、1940年6月29日に亡くなっている。墓碑銘からはそれだけしか分からない。今の感覚で言えば「50歳の若さで」ここに眠ることになった寅彦さんとは、どんな人だったのだろうか。1890年といえば寅年で、だから名前に寅の字をもらったのだろうか。生誕132年目の寅年は新型コロナのオミクロン騒ぎと共に明けたことを知ったらどんな顔をするのだろうか。思いをはせて手を合わせた。よく見ると日本の墓石の形がさりげなくデザインに取り入れられている?

日本政府が叙勲と表彰
大沼さんと野田さんに

 日本政府は令和2年(2020年)秋の叙勲で旭日小綬章を受章したJAAのスーザン・順・大沼さんに続いて2021年、事務局長の野田美千代さんを外務大臣表彰した。野田さんは34年間にわたりニューヨーク日系人会事務局に勤務し、歴代会長を支え、事務局長として同会の多様な活動を展開するために尽力した功績。在留邦人・日系人の声に熱心に耳を傾けて各種行事や支援活動に反映させたことなどがたたえられた。
 なお05〜07年と14〜21年の11年間会長を務めた大沼さんは21年12月31日で会長を退き名誉会長に、後任の会長には佐藤貢司さんが就任した。
 ニューヨーク日系人会
 The Japanese American Association of New York,Inc.
 49 W 45th Street, 11th Floor
 New York, NY 10036
 電話213・840・6942。メール—
 info@jaany.org

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