日本滞在も残り少なくなってきた。母の介護の交代の他は、行動制限がなかったので、何年、何十年と会っていなかったいとこを訪ね歩いた。自分の年齢を考えると機会を逃してはいけないと思い、札幌から福岡まで、日本を縦断した。
 祖父母は私が生まれたときにはすでにおらず、おじさん、おばさんはほとんど鬼籍に入っている。火事に遭っているので写真もほとんどない。今ある自分のルーツはいとこからしかたどれない。年長のいとこから聞く話の中に、祖母が話題に上る。初めて知る情報に当時の事情が少し見えてきた。「この年になったから言えることもあるのよ」のいとこの言葉がずしっときた。30年以上の時の隔たりも悪くなかったか、と思うとともに彼女も80代半ば。おととし、がんの再発があったというから、また遠くない日に話を聞きに行きたいと思った。
 離れていると、兄弟でもなかなか訪ねるのは難しく、80歳前後ともなると何かしらの病気があるのも当然のこと。自分だけが長いこと会っていないと思っていたが、日本にいても会えないことが分かった。会ったいとこの状況を他のいとこに伝えると懐かしがって喜んでもらえた。そして、それがきっかけになって、思い出すこともある。父が末っ子だったこともあって、祖父母の思い出が少なかった。
 昨年帰国した時は、新型コロナウイルスに感染したという話を身近に聞くことはなかった。だが、今回はいとこや知り合いの中にも感染したとか、熱の出方がこれまでの風邪などとは全く違った、陰性になっても咳が止まらない、倦怠感があるなどの症状や、娘、息子は症状があって陽性でも親の私たちは(私の年代に近い)何ともなかったなどなど。インフルエンザ並みに感染していた。
 いとこを訪ねる旅は、行く先々で思いがけない出会いも多々あった。字数の関係で詳しく紹介できないが、ロサンゼルスに来たことがある障害のある若者がパン屋を開店させたというのも道中にあった。NPO法人を立ち上げ、パン作り講座で技術を身につけ、奥さんが必要な手続きや資格を取得して支えた。今年1月のオープンからまだ利益を出せないでいると言っていたが、何とか続いてほしいと思った。(大石克子)

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