
「原爆の父」と呼ばれるJ・ロバート・オッペンハイマーの伝記映画が作られると聞き、複雑な思いを抱いた。そして、イギリス系米国人のクリストファー・ノーランが監督すると知ると、戦争賛歌でも、「アメリカ万歳!」な映画でもなく、原子爆弾の製造過程の裏側にある人間ドラマがメインの作品になると予想し、ほんの少しだけほっとした。
ノーランの映画でいつも思うのは、それぞれのシーンはとても力強いものの、見終わった後、結局、何が言いたかったのか?という印象を持ってしまうこと。通常、観客は主人公に感情移入し、描かれる世界に没入する。しかし、ノーランの映画は劇中、感情移入するメインの相手がコロコロと変わってしまうことが多い。全体を第3者の目線で描くのでもない。それぞれのシーンのメインのキャラクターを力強く描き過ぎてしまうために、結局、誰について、何を主眼に、何を伝えようとするストーリーだったのかがボヤけてしまう。印象的なシーンをパッチワークのようにつなげて1本の映画に仕上げているように思えてしまうのだ。まとめる力量と「なんだかすごいものを見た」という感想を観客に抱かせる才能は認めるが…。

本作でも、主人公はオッペンハイマーなのに、途中、ルイス・ストラウスの話が主眼になったり、オッペンハイマーの不倫物語が「そこまで必要か?」と思えるくらい展開したりする。ノーランの出世作「メメント」を彷彿(ほうふつ)とさせるカラー映像とモノクロ映像を使った効果で線引きはしているものの、パッチワーク感は否めなかった。
そして、筆者が最も残念に思ったのは、原爆がもたらした惨状を「生ぬるい」映像でのみ表現し、オッペンハイマーの自責の念の描写が薄かったこと。現実に起きた恐ろしい惨状を見せることで、オッペンハイマーのその後の活動について観客は共感を得ることができただろうからだ。反戦や平和学習がテーマの作品ではないから、「もっと見せるべきだ」とは言えない。しかし、観客が主人公に感情移入するためには「もっと見せるべきだった」と強く思った。赤狩りのシーンはあれほどしつこく描写されていたのに…。
本作の日本公開は未定だ。大手スタジオの作品で、日本でも根強い人気を持つノーランの映画だけに、日本公開をしないワケはない。近年、日米同時公開が多い中、米国と同じ7月下旬に公開をしないというのは、8月の原爆投下の日と終戦の日を鑑みての判断だと確信する。
映画「バービー」と「オッペンハイマー」の同時公開と両作のヒットを受けて、「バーベンハイマー」という言葉が生まれた。考え過ぎかもしれないが、気分の悪い造語だ。笑い飛ばす余裕が必要だという人もいるかもしれない。しかし、広島や長崎の原爆投下の惨状が身近であれば、そんな余裕は生まれないだろう。ホロコーストを揶揄(やゆ)する言葉だったらどうだろうか? 1995年、「シンドラーのリスト」と「ミセス・ダウト(Mrs. Doubtfire)」は同時期に公開だった。ユダヤ系の多いハリウッド、「シンドラーズファイヤー」なんて言葉を許しただろうか?
「オッペンハイマー」 赤狩りの時代、米国の物理学者J・ロバート・オッペンハイマーは共産党との関係について問い詰められる。過去を語る中、学生時代や教授時代、そして、原爆製造の様子がフラッシュバックする。(はせがわいずみ)
