シアトルの日系鮮魚店「ミューチュアル・フィッシュ」が親子3代76年の歴史を閉じ、多くの人に親しまれた店の閉店はシアトルタイムズや地元テレビでも報じられた。
 カリフォルニア生まれの帰米2世ディック吉村さんが、15歳で飛び込んだのがシアトルの鮮魚業界。戦後1947年に旧日本町近くの鮮魚店を買い取り、ミューチュアル・フィッシュとして兄弟で経営したのが始まりだ。店は60年代に現在地に移転。ディックさんの息子と孫も一緒に働いて、大勢の人を使い、小売と卸売で繁盛した。貝を水槽に入れたのも、鮮魚の空輸も当地では先駆けで、市内のシーフードレストランからの信頼厚い鮮魚店だった。
 私も当地に来てすぐ人に教えてもらい、子連れで買い物に通った。中でも娘は、店頭の威勢の良いお兄さんたちの姿を子ども心に格好良いと思ったらしい。平和部隊ボランティアを終えてパナマから帰国すると、驚いたことに、学校に戻るまでの半年以上をフィッシュモンガー(魚屋さん)としてミューチュアルで働かせてもらった。包丁で手を切り青くなって病院に走ったこともあるが、大きなサケを三枚おろしにすることなど多くを体で学び、得意先のレストランに食事に連れていってもらうなどもした。
 ディックさんは、98歳で亡くなる直前まで店に出ていた。息子のハリーさんは今80歳だが、孫のケビンさんはまだ引退には早い年だ。最終日にあいさつに行くと、「おやじにそろそろゆっくりしてもらおうと思って」とケビンさん。新型コロナの影響、人手不足、店舗周辺の治安悪化など、いろいろあって迷った挙げ句の決断らしい。
 そういえば以前に比べこの数年、私の足も遠のいていた。日本の親の介護で1年の半分はいないことも、郊外からの運転がおっくうになったというのもある。けれど1番の理由は、もっと身近で魚が手に入るようになったためだと気付く。いつの頃からかスーパーマーケットに鮮魚売り場が登場し、今では当地のコスコに刺し身パックさえ並ぶ。消費者としてはうれしいが、これまた閉店の一因かもしれない。
 さよなら、ミューチュアル・フィッシュ。今までありがとう!(楠瀬明子)

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