先週末、落書きの被害に遭った加川文一の記念碑

 小東京のホンダプラザ内にある日系詩人の記念碑が先週末、落書きの被害に遭った。花崗岩の記念碑には黒いペンキでイスラエルとハマスの衝突に関連した文言「FREE GAZA」と書かれていた。
 日米文化会館のアートディレクターである小阪博一さんは、過去18年間にわたり記念碑周辺のゴミを拾い、数々の落書きを除去してきた。2街とセントラル通りの角にあるこの記念碑への落書きも初めてではないが、今回は驚くほどひどい状態だという。小坂さんは「落書きを消すために思いつく限りのことをやってみた。シンナーも試したがうまくいかなった」と嘆く。 

2005年に全米初の日本語の詩碑としてホンダプラザの一角に建立された

 この記念碑には、1930年代〜40年代の日系文芸運動のリーダーの1人であった1世の加川文一の詩が刻まれている。第2次世界大戦中、ツールレークは敵性が強い日系人を収監する最も警備が厳しい隔離収容所として1万8千人以上の日系人を収監していたが、加川は収容所で同人誌「鉄柵」を発行した中心人物だったことで知られている。この碑に刻まれた詩「海は光れり」は、41年に書かれた作品である。加川は戦後も南カリフォルニアの日系文壇の中心的存在の1人として活動した。
 記念碑が建立された2005年に羅府新報の日本語部編集長だった長島幸和さんは「当時、日本語の詩が刻まれた全米で唯一の記念碑だった」と語った。同氏によると、初期1世移民に敬意を表する記念碑設立のために14人から成る委員会が結成され、資金集めが行われたという。委員の中には、羅府新報の寄稿者だった文芸家の山城正雄さんや元日本語部編集長の矢野喜代士さんも含まれていた。当初は日米文化会館に設置する予定だったが適当な場所が見つからず、「ホンダプラザがその重要性を理解し記念碑を置くことに同意してくれた」という。ホンダプラザを所有および管理する家族の一員であるビクター・ホンダさんは「他人の財産を軽視する行為に、またかという気持ちだ」とコメントした。
 ロサンゼルス警察は現在、犯人の映像が付近の監視カメラに映っていないか調査している。

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