鳴子を手に「よさこい鳴子踊り」を元気いっぱいに歌う着物姿の少女たち

 日本民謡の普及・伝承に努める「松豊会」(主宰・佐藤松豊)はこのほど、トーレンスのジェームズ・アームストロング劇場で一門による演奏会「民謡の祭典」を催した。コロナ禍で限られた環境の中で稽古を積み困難を乗り越えた総勢40人が舞台に上がり、観客約400人を魅了。新名取と新師範それぞれ6人が披露され、さらなる精進を誓った。

熊本民謡「球磨の六調子」を歌う佐藤松豊智恵師

 松豊会は1965年にサンフランシスコで設立され10年活動した後、拠点をロサンゼルスに移した。松豊師によるとLAでは門下生が出そろう演奏会を80年代半ばに始め、以後5年ごとに開いてきており、2020年に予定した定期演奏会が新型コロナの影響で3年延期しての開催となった。コロナ禍では対面が許されなかったためZoomを活用して松豊師が稽古を付けたり、生徒の録画演奏を集めた温習会を開いて配信したりなど、各人のやる気を維持しながら一門の絆を深めてきた。
 この日の演奏会では、日本から招いた民謡・演歌の第一人者の成世昌平師と、三味線・民謡の笹本流家元・笹本壽(ひさし)師、鼓・鳴物の望月太八文師と共演し、演奏に合わせ当地で活動する日舞の坂東秀十美、坂東拡三也の各社中が舞い、花を添えた。唄、三味線、はやしに加え、民舞と日舞を組み合わせたプログラムについて、松豊師は「耳(演奏)だけではお客さんが飽きてしまうので、目(日舞)も楽しんでもらいたかった」と説明する。

笹本壽師(真ん中)と佐藤松豊師(右)の三味線伴奏で歌う成世昌平師

 幕開けは出演者全員が舞台に勢ぞろいし、合奏に合わせ秀十美師と拡三也師が「松寿三番叟」を踊った。その後は、女性、男性の各グループの三味線演奏や三味線と唄、踊りを交え、日本各所とハワイに伝わる音頭や甚句、端唄などを熱のこもった演奏で盛り上げた。2歳から88歳までの総勢40人が晴れの舞台に上がり、36曲を披露。これまでの練習の成果を発揮し、1曲終わるごとに大きな拍手を送られた。
 松豊会はここ数年、十代の若者の入会が続き、将来が嘱望されている。着物姿の少女8人は鳴子を手に「よさこい鳴子踊り」を元気いっぱいに歌い、場を和ませる2歳の女の子の仕草には「かわいい」などの声が飛んだ。

北海道民謡「ソーラン節」を歌うメンバー

 発表曲は松豊師が生徒の希望に加え各人の個性と技量で判断して選曲した。現在はテレビやラジオの放送に加えインターネットの普及により世界の人々が日本各地の民謡を聞くことができるが、松豊師は「民謡は元々、その土地の民の唄」と強調し、弟子にはできる限り故郷の民謡を演奏させたという。故郷への思いを込めた演奏は、より観客の心に響くものになるという。
 最後は出演者全員が舞台に上がり、「東京音頭」を輪になって踊り、演奏会を締めくくった。
 ゲスト出演の笹本師は今回で松豊会と4回目の共演。これまでは3曲ほどの演奏だったが、今回は松豊師からの「全ての演目で弾いてください」との要望に応え、ほぼ全曲に加わり貫禄のある演奏を見せつけた。
 一方、成世師は3回目の共演。民謡歌手の肩書きに加えて演歌歌手でもある成世師はNHKの歌謡番組にも出演するほどの実力を持つ。この日はトークに交えて持ち歌を披露した。公演後のCD販売には長い列ができ、サインと写真撮影のリクエストに応えていた。

成世昌平師に促されマイクを握り歌う佐藤松豊師

 松豊師は4月に参加した日本での大きな舞台以降、体調を崩していたという。体調は元に戻らないまま発表会を迎え、予定の演目には松豊師の唄はなかったが、舞台で突然、成世師から歌うように促され、やる気が湧いてきたという。「座が冷めるだろうな」と心配したが、マイクを握ると「よし、頑張ろう」と芸人魂に火がついた。歌い出すと「あら、声が出た」。本番の前日にも本来の声は戻らず練習もできなかったが、その場では抜群の声量で会場の隅々にまで美しい声をとどろかせ、観客と弟子を驚かせた。
 舞台を終えた笹本、成世両師は、松豊会の演奏の腕前とメンバーの民謡への情熱について語り、「海外で活動しているにもかかわらず日本と同じ高いレベルを維持し、松豊先生の教えを守り、米国で日本の民謡を伝えるために頑張っている」と、口をそろえた。

 笹本師は「民謡の原点は『故郷』であり、日本の各地を代表する音楽である」と、他の邦楽や演歌と一線を画す点を説明する。日本各地の都道府県の出身者と米国生まれのメンバーがいる松豊会については、日本から来た生徒が泣きながら故郷の民謡を演奏しているのを目にしたことがあり「遠く離れた米国で暮らしていて滅多に帰国することができないために涙を流したのだろう。そうした郷愁が松豊会のメンバーの唄と楽器演奏のどちらにも表れている」と話した。

松豊会の伴奏で踊る坂東拡三也師(写真上)と坂東秀十美師

 松豊師の指導について笹本師は「先生が日本で活動していたら、プロの中で5本の指に入っただろう。それほどの芸を持つ立派な先生に習っている生徒は、恵まれている。先生が日本と同じやり方で徹底的に指導しているので、日本で聞くのと同じ本物の民謡を演奏している」とたたえる。日本では民謡は愛好家が減って衰退傾向にあることに「なかなか若い人は興味を持ってくれない」と嘆く。一方の松豊会は「来るたびにメンバーが増えていて、若い人の活躍が目立ち頼もしい。小さい子どもも出演していたが、ぜひ今日の舞台を忘れないようにしてほしい」と願った。「松豊会は何も変える必要はないので、今のままの調子で頑張ってほしい」と語った。
 成世師は、発表会について「大変だったコロナ禍の期間も稽古を続けて頑張ったことが分かる素晴らしい演奏だった。松豊会の民謡に対する情熱に敬意を表したい。皆さんと演奏ができて本当にうれしかった。また一緒に演奏したい」と話し、松豊師に対しては「体調が万全でないと仰りつつも唄と三味線で素晴らしい演奏を披露した。先生はやはり超一流で、ただ者ではない」と述べた。松豊師の指導力を高く評価しており「先生は、名人の故佐藤松子師匠から学んだことを生徒に教えている。非常にレベルの高い指導をしているので、松豊会は日本に引けを取らず立派な舞台を見せることができている」と称賛した。さらに「松豊先生は弟子を抱え込まず日本に送り込んで修行させていることがすごい。弟子たちは貴重な指導者の松豊先生から多くを学んでほしい」と希望した。

 松豊師が発表会の開催を決めたのは2年前だった。コロナ禍のその頃はイベント開催は規制があったため、周囲はチケットの売れ行きなどを心配したが、松豊師は「空っぽ(無観客)でもいいから絶対にやる」と腹をくくり、会場を押さえたという。
 松豊師は発表会が近づいても、声を思うように出せず、稽古では弟子に節の付け方などを指導することができず、過去に録音した唄を聴かせ、悔しい思いをしたことを明かした。これまでの演奏会や温習会は松豊師が取り仕切っていたが、体調が優れなかった今回は生徒に「責任を持って自分の役割を果たすように」と託した。

松豊会の伴奏で踊る坂東拡三也師

 心配された客入りはよく、生徒が練習通りの演奏をしたことに、松豊師は「お客さんと生徒が喜んでくれたのでよかった。若い人が多く入門して私に力をくれ、その若い人が公演で頑張ってくれて、にぎやかになった。生徒は私に付いてきて良くやってくれ、松豊会と私を必死になって守ってくれた。言われたことだけをせずに、助け合ったことで皆の心がまとまり、うまくいった。生徒と舞踊の方々に感謝したい。お客さんが楽屋に来て『感激した』と言ってもらいうれしい。もう私が死んでも心配ないほど」と、感慨深げに語った。

 新名取と新師範に向けては、「これからは責任がより出てくる立場になる。練習に身を入れて成長を続けてほしい。これからも先輩を敬って、また後輩には優しくしてかわいがる気持ち持てば、それが演奏と舞台に表れてくるので、頑張ってほしい」と希望した。師範に対してはそれぞれが弟子を取り、30人ほどに増やすことを願った。
 ▽新名取と新師範は次の通り。
 ・新名取 佐藤松智恵雅、佐藤松豊一富士、佐藤松豊成、佐藤松豊庵、佐藤松豊葵、佐藤松豊香奈
 ・新師範 佐藤松豊了、佐藤松菊美、佐藤松豊櫻、佐藤松豊美月、佐藤松豊捺、佐藤松豊美芸
 松豊会はコロナ禍前までは、年間50回以上の舞台をこなしたという。コロナの影響は依然続き、各種イベントや日本祭りなどからの出演依頼が半減したため、今年は20回ほどに留まった。松豊師は「出演依頼に備えて稽古に励み、みんなで演奏し舞台をつくる松豊会らしい家族のような活動を続けていきたい」と抱負を述べた。

【写真上】お披露目された新名取と新師範。松豊師(右端)と共に深々と頭を下げ、さらなる精進を誓った【同下】松豊会一門による演奏会「民謡の祭典」を終え、集合写真に納まる出演者
演奏会の最後は出演者全員が舞台に上がり、輪になって「東京音頭」を踊った

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