「ピュアラップの『リメンブランスギャラリー(想起の回廊)』が完成したので、先行公開に一緒に行きませんか」と声が掛かった。
シアトルから南に30マイルほどのピュアラップでは、1900年から毎秋、農業祭ピュアラップフェア(現ワシントンステートフェア)が大規模に開催されてきた。私も毎年のように家族で出かけ、巨大カボチャに驚き、生まれたばかりの子豚に目を細め、スコーンをほおばり、遊具に乗った楽しい思い出がある。
とはいえ歴史の一時期、そこは楽しさとはかけ離れた場所だった。42年春、日系人に西海岸からの立ち退き命令が出ると、シアトルの日本人と日系人はこのフェアグラウンドに送り込まれた。アラスカや近くの農村部からの人も加わり、その数7600人近く。私の友人の1人は「キャンプハーモニー」と名付けられたそこで生まれた。夏を過ぎ、9月にアイダホ州ハントのミネドカ収容所に送られるまで、フェアグラウンド内の厩舎などが人々の生活の場となった。しかし日系人強制収用の歴史が知られる機会は少なく、まして楽しさあふれるこのフェアグラウンドの果たした役割は、多くの人には想像もつかない。フェアで一時期、この歴史を伝える展示が行われていたが、その後に姿を消した。
今回、ピュアラップ日系市民協会によりフェアグラウンドの一画に創設されたのは、恒久的なリメンブランスギャラリーだ。過去の歴史を伝え、同じような人権侵害が繰り返されることのないようにとの願いがこもる。壁面には収容された全員の名が記され、体験談などをタッチパネルで聞けるほか、8フィートX10フィートだったという当時の居住空間も再現されている。
誘ってくれたのは、長男の配偶者。彼女の父親はカリフォルニア州オックスナードで生まれ、1歳半で収容所を経験している。結局先行公開に行けなかった私に「良い展示でした」と語り、同行した孫娘も「良く分かる展示でしたよ」と写真を見せてくれた。今月30日から3週間半続くフェアの観客動員数は百万人以上とか。期間中、より多くの人がギャラリーを訪れ、歴史が知られることを願っている。(楠瀬明子)
