羅府コラムニスト川口真理さんのエッセー

   社会勉強編と申しましょうか。当時その学校では、新学期に向けて夏休みの間に応急処置、CPRの講習を受けます。たとえパート勤務でも月数回のサブであっても子どもに関わる者は受けなくてはなりません。万が一の緊急事態に備えて、適切な応急手当を学ぶ。子どもを預かる心構えとして、私も英語に自信がないなんて言ってられない。よし、アメリカのやり方、学ぼう!と意を新たにして参加しました。

 さて、グループに分かれ、床に寝かされた上半身人形を使って、心臓マッサージと人工呼吸を実習する段になりました。インストラクターは言いました。「テーブルの上の人形でやりたい人はこちらで」。ハテ? テーブルとは? 見てますと、あきらかに体重過多と見て取れる方たちがそのテーブルに移動していきます。つまりは、体型が太めの人は床に膝をついたり、ケガ人に覆いかぶさるように床に肘をついたりすることが甚だ困難なので、人形をテーブルの上に持ち上げて、立ったままで実習をする。ということでした。たとえ膝がつけたとしても、立ち上がるのが困難な場合もあります。悪くすれば実習で膝を痛めることにもなりかねません。結果、「床に膝をつけられない人」が過半数でした。ちょっと待って、これは大変なことではないのか。そして、その「ですけど何か?」的なこの空気。私は、肥満大国アメリカがジワジワと人々の感覚をまひさせているのではないかと、大国の片隅でひそかに案じたのであります。実を申せば私がわだかまっていたのは、何々はこうあるべき、という形。いやはや今どきこれでは世間を狭くします。本日の目的は実習、形を変えて実習ができたことに絞れば、それ以上案ぜずともよろし。それがなにか?と自分に言ってやりました。

 そんなこんなで乳幼児の人形で心臓マッサージの段となりました。胸を手のひらで押すのではなく、立てた指3本でトントンと押します。そこで幼稚部の若いエイドが質問しました。「わたし、爪長くしてるから、うまくできないんですけど」と赤いマニュキアの爪をヒラヒラさせています。

 (コレッ! 控えおれ! 即刻爪を切るのじゃ。ここをなんだと思っとる!)というのは私の心の叫び。

 インストラクター氏は平然として言いました。「あ〜。そういうこともありますね。そういう場合は握りこぶしを作ってドアをノックするように、関節を胸に立ててやってください」。「そうしま〜す」。

 氏はさらに、「爪が長い場合は口の中の物を掻き出すときに、誤って口中を傷つけてしまうことがあります」。(だから、切れって!)は私の心の叫び。インストラクター氏は続けます。「血だらけの口にマウスツーマウスはやりたくないですからね、そんな時には鼻から息を吹き込むことができます」。今はマウスシートを使うようですが、それにしてもこのインストラクター氏は「爪を短くしておくように」とは言いませんでした。ウーム、このゆるい空気(私が思うところの)をどう解釈しようか。考えてみると事故なんていつどこで起こるか分からない、指先もおしゃれな状態だってあります。となれば「爪長くしてるからできない」と遠慮なく言えて、回答をみんなでシェアできた実習は現実味があってよかったのではないかしら。自然、心で叫んでいたものは治まっていたのでした。

 研修を終えた参加者にTシャツのプレゼントがあったのですが、サイズはSから5Lまで。もうイチイチ驚きません。静かにMを頂いて帰りました。

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