ヨーコ・オノがコロナ禍の世界に向けて発信したメッセージ (ニューヨーク、メトロポリタン美術館)

 

 ニューヨークで花が開いた草間彌生、村上隆、奈良美智、空山基などは日本が世界に誇る現代アーティストたちだ。現代アートというと難しく理解しがたいと敬遠されることも多々あるが、実は「分からない」ことが初めの一歩。同じ時代を生きているからこそ共感できたり、日常生活のなかでふとした疑問が湧いてきたりすることもあるのだ。インターネットや携帯電話が普及し時差の無い情報が得られる時代となり、特に90年代を境にコンピューターが普及してからの芸術表現はますます多様化している。世界が「グローバル社会へ」というスローガンを掲げ、社会も進化する一方で、自然災害や気候変動、世界各地で続く紛争そして蔓延する格差など多くの問題を抱えている。この新型コロナ感染症のパンデミックも然り。変わり行く時代のなかでアートの在り方も著しく変化しているが、答えのない不確かな時代にこそアートの力が求められている。今から80年前に日系人強制収容所では自由を奪われた多くの作家がアートによって生きる力と希望を得て生き抜いてきた。残された作品は現代にも受け継がれている。国籍や性別、宗教や人種を超えた自由な社会に向けてアートの思念は続く。ここでは米国、主にニューヨークを舞台に活躍している一部のアーティストを紹介するが、国際的に活動する注目すべき若手作家たちの存在も加筆しておきたい。

 時代を追って3回で掲載するシリーズの最終回。【梁瀬 薫】

3.米国から世界に発信する国際的な日本人現代アーティスト

ヨーコ・オノ(小野洋子) 1933年—

ヨーコ・オノ Photo by Tom Haller ©Yoko Ono

 1933年東京都出身。学習院大学哲学科入学後53年ニューヨークに転居。前衛芸術活動のフルクサスと共に活動を行う。ニューヨーク、ダウンタウンの前衛アートシーンで活躍する。69年にビートルズのジョン・レノンと結婚した当時、激化するベトナム戦争反対し「ベッド・イン」、「ウォー・オズ・オーバー」などのパフォーマンスやポスター作品などで平和運動を行ったことはあまりにも知られている。

1969年から続くキャンペーンでは各国語のメッセージが世界中にシェアされ続けている(同キャンペーンのウェブサイトより)

 レノンと結成した「プラスティック・オノ・バンド」はレノンの死後も継続的に活動を行うなど音楽活動も積極的に展開。アイデンティティー、ジェンダー問題、フェミニズムなど社会的な問題に訴える作品を数多く発表している。89年のホイットニー美術館での展覧会と92年に発表された「オノボックス」は大きな評価を得た。2001年ニューヨークのジャパン・ソサエティーでの回顧展では全米美術評論家連盟賞を受賞。09年にはベネチア・ビエンナーレで特別功労賞として金獅子賞、応用現代美術におけるオーストラリア最高賞などを受賞。

 昨年夏の終わり、新型コロナ感染症で対策のため閉館を余儀なくされていたメトロポリタン美術館の営業再開時には美術館正面にオノの作品「DREAM TOGETHER(2020)」が設置された。ロックダウン中に製作されたもので巨大な横断幕に「ドリーム」と「トゥゲザー」という文字が記され来場客を出迎えた。パンデミックの恐怖が世界を覆うなかで文字通り希望と共生という大きなメッセージが胸にずっしりと響いた。

篠原有司男(しのはら うしお) 1932年—

「とにかくぶっとばす!」が口ぐせのニックネーム「ギュウちゃん」のボクシングペインティグは今も顕在だ。

ボクシングペインティング製作中の篠原有司男氏

 1932年東京都出身。60年に吉村益信、赤瀬川原平、荒川修作らとともに「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を新宿ホワイトハウスにて結成。頭をモヒカン刈りにして週刊誌のグラビアを飾ったり激しいアクションで知られたり多くの伝説を残す。ボクシングのグローブに絵の具をつけてキャンバスに絵を殴りつけるように描く「ボクシング・ペインティング」は篠原の代名詞となる。69年渡米。ニューヨークのブルックリンを拠点に活動を続けている。日本の伝統的な世界とポップアートを融合させた極彩色の作品や段ボールや廃材を素材としたオートバイの彫刻などでも知られている。2003年には福山雅治とポカリスウェット飲料のコマーシャル出演、04年にはNHK教育番組にボクシング・ペインティングで出演。アメリカの飲料水マウンテン・デュウのコマーシャルにも起用され全米にセンセーションを巻き起こした。13年には画家として活動している乃り子夫人との日常を追ったドキュメンタリー映画「キューティー&ボクサー」がサンダンス映画祭ドキュメンタリー部門監督賞を受賞。

寺岡政美(てらおか まさみ) 1936年−

 1936年広島県出身。8歳のときに原爆を体験。61年渡米。ロサンゼルスのオーティス・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインで学ぶ。ハワイ在住。浮世絵の技法で奇抜で独創的に社会問題を風刺し続けている。エイズ問題をモチーフにしたシリーズや浮世絵にハンバーガーが描かれた作品などで知られる。73年ロサンゼルスのデビッド・スチュアート画廊で個展を開催してから米国、欧州、アジアも含めて毎年個展が開催されている。2000年にはロサンゼルス・カウンティー美術館の「メイド・イン・カリフォルニア」展に出品。13年森美術館10周年記念展「LOVE展:アートにみる愛のかたち」に展示された「1,000個のコンドームの物語/メイツ」(1989年)は恋愛エピソードがユーモアと皮肉たっぷりに浮世絵風に描かれた作品で注目を集めた。

「1000個のコンドームの物語/ メイツ」(1989年)

 1985年頃にニューヨークのレストランで輸血によりエイズを発症した親子に会い、衝撃を受けたという。当時ゲイの病気として偏見や差別的に見られていたが、寺岡はそのような次元ではない人間とウイルスとの戦いであるという信念を持つ。権威に対してメッセージを発することが作品制作のテーマだという。

 

宮本和子(みやもと かずこ) 1942年—

「無題」1978年。メトロポリタン美術館所蔵。Courtesy the artist and Zürcher gallery, NY
1978年ニューヨークPS1にて。Courtesy the artist and Zürcher gallery, NY

 1942年東京都出身。64年以降ニューヨークを拠点に活動。アート・スチューデント・リーグで学ぶ。

 ミニマリズムを日本的な視点から考察する作品を制作している。68年にニューヨークダウンタウンにスタジオを構え、米国の現代美術を代表する芸術家のソル・ルウィットやアドリエン・パイパーらと交流。ルウィットのアシスタントとして作品制作に携わった。白人男性中心だった美術界のなかで72年には20名の女性作家により設立された非営利芸術スペース「A.I.R. Gallery」に加わる。平面、立体、インスタレーション、パフォーマンスと多岐にわたる手法で独自の表現を追っている。ニューヨークの街頭で宇宙飛行士やホームレス、売春婦に扮装(ふんそう)したパフォーマンスも行った。2021年の森美術館「アナザーエナジー展」に選出されて再評価されている。作家として活動しながらニューヨークのローワーイーストサイドにワントゥエンティエイト画廊を運営している。

 

 杉浦邦恵(すぎうら くにえ) 1942年—

Cko_#L16、(1967, 10x 12-3/4 inches ) ©Kunie Sugiura Courtesy of the artist and Nonaka Hill Gallery,LA  
杉浦邦恵

 1942年名古屋出身。63年渡米。シカゴ美術館付属美術大学学士課程修了。まだ写真を専攻する者はほとんどいない時に表現としての写真の可能性にいち早く注目した。67年に拠点をニューヨークに移す。以降チャイナタウンのスタジオでフォトグラムなど実験的で独創的な写真表現を探求し続けている。97年にはニューヨーク近代美術館の「ニュー・フォトグラフィー13」展に選ばれる。「写真は光によって描かれるメディアである」という視点で伝統的なフォトグラムの手法をもとに植物、動物、人間をモチーフに独特な世界観を確立。ホイットニー美術館、ボストン美術館、東京国立近代美術館など多くの美術館に作品が収蔵されている。2018年には大規模な個展が東京都写真美術館で開催された。

 1986年から2008年までに美術手帖に寄稿したアートレポート「ニューヨーク・アート、ニューヨーク・アーティスト」が2013年に出版された。作家から見たニューヨークのアートシーンが自由な感性で書かれており、杉浦の作品にある独特な瑞々しさや柔軟性が言葉からも想像できるのだ。

 

 杉本博司(すぎもと ひろし) 1948年—

杉本博司 Photo credit: Sugimoto Studio Copyright: Hiroshi Sugimoto
小田原文化財団 江之浦測候所の光学硝子舞台Optical Glass Stage  ©Odawara Art Foundation

 1948年東京都出身。70年にロサンゼルスのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインで写真を学ぶ。74年にニューヨークに移る。76年に「ジオラマ」シリーズの1枚がニューヨーク近代美術館写真部キュレーターに評価され買い上げとなる。以降グッゲンハイム美術館奨学金などを得て写真作品制作を続ける。生活のために日本の古美術品や民芸品を売るギャラリーをソーホーに開業。ニューヨークと日本を往復し古美術品の売買をする。ギャラリー閉店後も現在に至るまで古美術収集を続けており、日本の古美術や古典文学への造詣が深い。古い映画館のスクリーンに1本の映画を投影し撮影した「劇場」シリーズ、世界中の水平線を撮った「海景」シリーズが代表的だ。写真以外にも茶室、能舞台、レストラン、ゲストハウスなど建築に関わる作品も手掛けている。2009年には小田原に古典演劇から現代演劇の伝承・普及、古美術品の保存、現代美術進行発展を目的とした文化財団を設立。2017年には能舞台やギャラリーを備えた広大な施設を開館。そのほか「杉本文楽 曽根崎心中」がある。これは日本の伝統芸能の一つ人形浄瑠璃文楽を現代美術と見事に融合させた作品で2011年に初公演されてからヨーロッパ、日本での公演を経て19年にニューヨークのリンカーンセンターでも上演され大反響を呼んだ。

 2001年ハッセルブラッド国際写真賞、09年高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)受賞。10年秋の紫綬褒章受章。13年フランス芸術文化勲章オフィシエ叙勲。17年文化功労者。

 

松山智一(まつやま ともかず) 1976年—

 1976年岐阜出身。ブルックリン在住。小学校3年生から6年生まで西海岸で育つ。日本で上智大学に通いながらスノーボーダーとして活動していたが、けがでプロへの道を断念し、アーティストの道へ。2002年にニューヨークに渡る。Pratt Instituteの大学院へ進学し、Communications Design科を主席で卒業。12年から17年までSchool of Visual Artsで非常勤講師を務める。絵画を中心に彫刻やインスタレーションも手掛ける。全米各都市、ヨーロッパ、アジア、中東などのギャラリーや美術館で多数展覧会を開催。コレクターにはビル・ゲイツやドバイ王室などがおり、LACMA(ロサンゼルスカウンティ―美術館)にも作品が収蔵されている。

松山智一 Photo by Akira Yamada

 19年にはバンクシーやキース・ヘリングも描いた壁画の聖地といわれるバワリーミューラルに壁画を制作。幅26メートル高さ6メートルもある巨大な壁画に鮮明な色彩で異なる時代や文化から引用されたさまざまなモチーフが繊細なタッチで描かれている。グラフィティ、日本画、ポップアートといった異なるフィールドがクロスオーバーし、まさに今という時代を捉えている。制作の様子はNYでも話題となり、NBCでも取り上げられた。翌年には工事期間中のビバリーヒルズの一角にも壁画が登場。「時代を作品に投影させること」だと言う松山は2020年新型コロナウィルス感染が拡大する中、新宿駅東口に巨大なパブリックアートを設置。日曜美術館や美術手帖での特集も組まれ、世界的な注目を集めるアーティストだ。

ビバリーヒルズの壁画 Beverly Hills Mural Photo by Brandon Shigeta

追記:ニューヨークを拠点とする気鋭作家

森万里子(もり まりこ)1967年東京都出身。ロンドンとニューヨークに在住。村上隆、奈良美智と並んで世界的な評価を得る。90年代には都市と未来を関連させたSF的なセルフポートレートや漫画やゲームなどの世界を生かした作品で注目を集めた。ビデオ、デジタルアート、インスタレーション、写真などマルチメディア・アーティストを代表する。2005年にベネチア・ビエンナーレ出品。パンデミック下のロックダウンがもたらした生活の変化で生まれた「光」を追求した新作ではこれまで触れてきた哲学的、化学的、超越的なビジョンが瞑想を通して構想された。

大山エンリコイサム (おおやま エンリコ いさむ)1983年東京出身。イタリア人の父と日本人の母。2011年以降ニューヨーク在住。70年代にニューヨークのストリートで誕生したエアロゾル・ライティング(スプレー塗料でかかれたストリートの書き込み)を再解釈した「クイックターン・ストラクチャー」というオリジナルのスタイルが注目を集める。動いているような線の造形に吸い込まれるようなパワーを秘める。「アゲインスト・リテラシー」(LIXIL出版)をはじめ数多くの著作を刊行している。2019年には山梨県の中村キース・ヘリング美術館での個展「ヴァイラル」が開催され反響を呼んだ。

照屋勇賢 (てるや ゆうけん)1973年沖縄県出身。ファストフード店の紙袋や有名ブランドの紙袋に切り込みを入れ、袋の内側に木を作る「告知—森」シリーズ、トイレットペーパーの芯などの身近なものを用いた作品で知られる。一度見たら忘れられない作品群だ。日々気づくことのない枠組みや問題を作品化するという。オバマや著名人のポートレートを沖縄の紅型で染め上げる「ヒーローズ」のシリーズも。

落合多武 (おちあい たむ)1967年神奈川県出身。1990年渡米。「概念としてのドローイング」をテーマにした絵画、立体、映像、パファーマンス、詩など多様な作品を制作。時間や思考の流動性といったつかみどころのないような独特の世界。これまでニューヨークでの画廊個展、日本でも東京都現代美術館、ワタリウム美術館、21年のエルメス財団での個展など。

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梁瀬 薫(やなせかおる) ニューヨーク在住。美術評論家。アート・ジャーナリスト

 1986年MOMAの仕事でNYへ渡る。以来、(株)美術出版社ニューヨーク支部を立ち上げ海外情報事業を担当。AICA(国際美術評論家連盟)米国支部会員、美術ジャーナリストとして多くのメディアに寄稿、アートコンサルタント、展覧会企画とプロデュース、展覧会カタログ執筆・翻訳など、コンテンポラリーアートを軸に幅広く活動している。

 共著に「マイ・アートーコレクターの現代美術史」(1998年)スカイドア社。

2008年より山梨県小淵沢にある世界で唯一キース・ヘリングの作品を展示する、中村キース・ヘリング美術館の顧問とキュレーターを務めアジア、ヨーロッパでの展覧会を企画。

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