ネットインフラの進歩により多様なアプリがスマホで気軽に見れる。アルゴリズムでユーザーの興味動向を読み取り、次々と面白いコンテンツが表示され、つい没頭して見続けてしまう。その中で日本語習得者向け分野が目に留まった。
 米国で長く生活しても、まだまだ分からない英語がたくさんあり苦労する。なぜ英語がこれほど難しいのかと感じると同時に、いや待てよ、逆の立場の外国人になって思えば、なぜ日本語がこんなに難解なのかにも共感する。
 自分なりの比較分析だ。周知の通り、日本語の文法構成は基本的にSOV(主語+目的語+動詞)、英語はSVO(主語+動詞+目的語)で、この違いは大きい。日本語は無意識のうちに状況要素を丁寧に固めていき、最後に行動や意図を示す動詞で結論が判明する。よって聞き手も最後まで耳を傾ける。英語だといきなり単刀直入に決断が表示される。
 日本語は、主語が省略でき便利だが曖昧にもなる。前後の内容か雰囲気で主語を察する力と勘(ネイティブは自ずと培われる)が必要だ。
 英語の冠詞のルールをいまだ完全に把握出来ない。ナイル川(The Nile)は「The」が付くが、ミシガン湖「Lake Michigan」は付かない。アルプス山脈(The Alps)は付く。山のモンブラン(Mount Blanc)は付かないが、マッターホルン(The Matterhorn)は付く…などなど不可解だ。日本語にはこの厄介な冠詞がない。必要ない? 概念がないのか、文法構造で既知未知、特定不特定の役目を補うからか…?
 日本語には複数形もほぼ無い。区別する必要が無い? 「夜空の星」を「夜空の星たち」とは言わない。一つだけでなく複数あるだろうと容易に想像でき、そもそも「たち」は無生物には使わない。「動物園のあらゆる動物たち」はオッケー…かな?
 歴史や文化の影響と共に、各母国語の世界観や思考回路によって表現の相違が生じる。異なる言語を楽しく学ぶには、長所短所を偏見なしに受け入れ、特殊性を尊重し、新たな発見で得した気分に仕向けるのが重要だ…まあなかなか難しいのだが…。(長土居政史)

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