猛暑の日本から涼しいシアトルに戻ってのある日、夕食の支度をしていると、裏庭の大型ポット(植木鉢)の中に座り込んでいるウサギの姿が見えた。こちらに顔を向けたまま、じっと動かずにいる。何とも不思議な光景だった。
翌朝、裏庭を片付けようとポットの表面を覆う枯れ草を抜きかけて驚いた。枯れ草の下には、小さなウサギ。前日のウサギは授乳中だったのか。その日も、前日同様の時刻に母ウサギが来て15分近く座り込み、授乳であることがはっきりした。
1日にたった1回お乳をもらうだけで生きて行けるかと心配したが、インターネットで調べ、母親の野ウサギが巣に戻るのは1日に10分から15分ほどの授乳時だけと知ってひと安心。日中、そっとポットに近づくと、巣からはい出た子ウサギが枯れ草の上に座っていて、思いがけず見つめ合いになることもあった。庭の花や若芽を食べるので日頃は困り者の野ウサギだが、この小さな生き物を目の前にすると、元気に育ってほしいとの思いしか浮かばない。
数日後、慌てたようにポットへの出入りを繰り返す母ウサギを目撃した。何か異常発生かと母ウサギの去った後にのぞき込むと、子ウサギがポットとポットの隙間に落ち込んでいる。夫がつまんでポットの表面の枯れ草の上に置くと巣に潜り込んだのでほっとしたが、母ウサギが授乳に戻って来てくれるかどうかが気になった。
別れは突然にやって来た。珍しく猛暑日となった昼下がり、子ウサギがピョンとポットから飛び降りるのを夫が目撃したのだ。窓越しに見つめていると、ポットの影に入ってしばらくは暑さをしのいでいるように見えたが、やがて小さな体ではうように草むらを目指し始めた。野ウサギは夜行性で、昼間は窪地や草の陰でじっとしているらしい。子ウサギは猛きん類に狙われやすく、無事に成長するのは10分の1とか。厳しい世界だ。
喉が渇くだろうからと夫は庭に水をまき始め、道路を無事に横切れば緑の多い場所にたどり着けるからと、私は祈る思い。短い間の縁だったが、急な巣立ちは寂しく、空になったポットを眺めては子ウサギの大きな黒目を思い出している。(楠瀬明子)
